”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

裏の”ベスト・キッド”(84年)

先日fpdさんが記事にしておられた”ベスト・キッド”は表のお話、じゃワタシは後塵を拝しその裏面をご披露しよう、、;

映画が公開されたのは84年でその直前に監督のジョン・アヴィルドセンと日系の空手の達人、ミスター・ミヤギを演じたパット・モリタが日本へ映画のお披露目にやって来た。残念ながら主役を演じたダニエル役のラルフ・マッチョは同行してない、、確か配給元の説明では在学中で来れなかったとか?

実はその時の宿泊先が当時ワタシが勤めていたホテルで営業部門に在籍していた事から滞在中の記者会見やらを担当する事になった。配給元との話し合いでは本国でも大掛かりな予算は取ってなくてむしろB級、、マイナーな作品としてそれなりに日本で宣伝し知名度を上げたい意向だった、。

確かに遥々アメリカからやって来たのは監督と日本じゃ指名度ゼロのおっさんだけ、、しかもこのパットさん、日本語はワタシより出来ない、(笑)。そもそも原題が”The

Moment Of Truth / The Karate Kid" だったのに後年、何時の間にか邦題が”ベスト・キッド”になっていたのは不思議な現象だった、。記者会見には辛うじてこのカタカナ表記じゃなかったかな(?)を檀上に掲げる事が出来たのだが、、。

そして記者会見当日、まあこっちも予算と認知度から60名も入れる宴会場で充分だろうと思って広い宴会場の半分を区切って設営、ちゃんと檀上と司会者、通訳席(絶対にあれは戸田先生じゃなかった)も設けた、でもやっぱりどう見ても”華”がない、、そりゃ”花”は飾ってそれなりに会場の雰囲気は出したのだが、、登場人物に女優がいないのでどうにもならなかった、。

 

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配給元の支局から急遽受付嬢として何人か華のある人を呼んでもらったがそれにしてもやって来た記者連中も20名程度でちょっと寂しかったかな?それに何処から見ても日本人風情のパットさんだが通訳を介さないとマッタク話が進まない、。数人の外国人記者がいてそれにはユーモアを持って接してくれるがそうなると今度は他の日本人記者がチンプンカンプンで逆通訳をする始末、これには結構焦ったっけ、。

 

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しかし監督のアヴィルドセンはあの”ロッキー”(76年)を大ヒットさせた功労者だし彼にもプライドがある、、この”ベスト・キッド”も何とか成功させたいと熱弁を振るっていた。まあそのお陰なのかアメリカを始め、世界レベルで大ヒットとなり結局シリーズ化も進み4話まで作られた。それにパットさんは助演男優賞候補としてノミネートもされたんじゃなかったか?

この映画での役名はミスター・ミヤギなんだが英語表記だと”Miyagi”になって劇中でもダニエルさんがどうしてもミヤギと言えず毎回ミヤジと言っては直されていた。そのやり取りが好評で笑えるシーンなのだがお陰でオリエンタルのジイさんはみんな”ミヤジ”と呼ばれる事になった、。

オーストラリアに居る頃、アレはまだ四郎が健在だったっけ、、うちの前を自転車で通り掛かった三人連れの悪ガキがワタシの事をみるなり”ヘーイ、、ミスター・ミヤジ”っとふざけ半分に言いながら通り過ぎた、。思わず、”ダニエルさ~ン”と返してやったらそのうちの一人が縁石に乗り上げ自転車から転がり落ちてしまった、、これは本当のお話し、ノン・フィクションです、。