”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

バーナード・シュワルツの伝記

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この原書はまだ彼が生前の頃だったがブリスべンの書店に高く積まれていたのを買って来た。ご本人がやって来てサイン会って訳じゃなかったし、オーストラリアでそんなに売れるのか??っと気にはなったが街中や郊外のショッピングセンターでも高く積まれ売れていたのは間違いない。

ご本人は1925年6月生まれで2010年9月に85歳で亡くなっている。本名はBernard Schwartz でニューヨークのブロンクス生まれ、ハンガリー移民の長男で実は双子だったが弟(?)は後年、8歳の時に事故死している。それに酷い貧困生活を送っていて幼少時は養護施設に入れられていたそうだが高校を出ると志願して海軍へ、、それが日本軍の真珠湾攻撃の時期と重なると書かれていた。

除隊してハリウッドへやって来たのが1948年、23歳の頃だった。それからセルズニックの姪に見いだされプロデューサーのジャック・ワーナーを経由して映画デビューしている。49年にはチョイ役でデビュー、”裏切りの街角”でもクレジットされる事はなくちゃんとタイトルロールに名前が出たのは”ウィンチェスター銃73”で当時はアンソニー・カーチスだった。

51年にパイパー・ローリーと共演した”盗賊王子”が最初のヒット作品、此処で芸名をトニー・カーチスに改めジャネット・リーと共演した作品でもてはやされ一躍ハリウッドの頂点へ、。56年には”空中ブランコ”、57年には”成功の甘き香り”でバート・ランカスターと共演し今度は社会派、演技派として成功していく。

58年には”手錠のままの脱獄”でシドニー・ポワチエと共演、遂にはオスカーにもノミネートされるのだがその後に撮った”お熱いのがお好き”(59年)からすっかりコメディ俳優として頭角を現すようになる。この60~70年代に作られたお笑い系は殆ど見ているのだがそれまでハリウッドで重宝がられた歌えて、踊れて、と言う役柄とは違ってどちらかと言えば口八丁手八丁でプレイボーイ風情、これがこの時代に作られた好感度を保つキャラクターだったような、。

アクション系とかシリーズものは一切無いのだが何となくあの雰囲気が好きで気が付くと映画館に座っていた、そんな俳優さんだった。