”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”手錠のままの脱獄”(58年)

原題は”The Defiant Ones"と言って直訳すれば”反目者同士、反抗的な二人”、と言う意味だが公開時の邦題は”手錠のままの脱獄”とした。確かにその通りの物語でこれは社会派スタンリー・クレーマー監督の代表作、”名作”と言っても良い映画ではないだろうか。主演はシドニー・ポワチエトニー・カーチス、二人が31、33歳の頃のモノクロ作品だ。

ストーリーは至って簡単、

囚人護送車が田舎町を移動中に、真夜中に転落事故を起こしてしまう。事故のどさくさに紛れて囚人のジャクソン(T・カーチス)とノア(S・ポワチエ)の2人は脱走するが、ジャクソンは白人、ノアは黒人とお互い50cmの長さの手錠で繋がれていた。北部へ逃亡を試みながら2人は人種偏見からたびたび反発し合う、そして修羅場を切り抜けながら二人は次第に友情を築いていく…。

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と言うお話で僅か96分にその物語が集約されているのだ。二人は最初憎しみあい、罵り合い、罵倒し、隙を見ては互いに逃げようとするしかしその二人の手首はチェーンで繋がれどうやってもその先にある手錠を外す事が出来ないのだ、。

公開当時、リアルタイムで映画館で見ている訳はないと思うがさては後年、リバイバルで見たのか、、暗い映画館で見た記憶だけはあるのだ。シドニー・ポワチエはこの映画でイギリスのアカデミー主演男優賞を受賞しているが、この後63年には本家のオスカー、それにゴールデン・グローブ両方で主演男優賞を受賞一気にトップ男優の座についてしまった。

この映画の時はさほどトニー・カーチスを意識していた訳ではないのだが56年の”空中ブランコ”でジーナ・ロロブリジーダそれにバート・ランカスターと共演、更に57年”成功の甘き香り”で再びバート・ランカスターと共演、この辺りから”追っかけ”を自認している。そして60年代から70年代後半にかけては遂に出演作品を99%制覇したのだ、、伝記本も数冊買い込み英語のオリジナル書庫を全部読破する程にお気に入りだった、、流石にファンレターだけは出してない、、、。

そのトニー・カーチス、78年に”がんばれ!ベアース大旋風ー日本遠征”で日本へロケに行くことになった。そこで当時住んでいたニューヨークのアパートの近所にあった日本食屋へ単身で出向き日本料理を食したのだ。

そしてその隣に偶然にも座っていたのが当時、ニューヨークに駐在していた某会社の駐在員、ワタシの同僚だった、そしてワタシはと言うと当時ロス・アンジェルスに駐在していたのだがたまたまニューヨークに出張中、その同僚とそこで昼メシを食うべく他の用事を済ませていたのだ。結局余計な時間がかかりそのレストランへ着いたのが大分遅れてしまった。そしてその同僚と再開したのはもう昼メシも終わったあと、っでその同僚、、ワタシがカウンター席に着くなり、、”さっきまで此処にトニー、、ナンとかと言うハリウッドの俳優さんが居たんだぜ。何でも来週日本へ撮影に行くとかでどんな料理か試しに来たんだってさ、、”、、、おおおおおおお~、、もうこの時点で自分のツキの無さを恨みまくりましたっけ、、。

何でさ~、、映画の”エ”の字も知らないヤツが隣に座って一緒に昼メシを食っただなんて、、もう悔しくて悔しくて、、そいつを殴り倒してやろうかと思ったものです。それもワタシが席に着く僅か3~4分前に天ぷらと寿司を摘んで満足そうに出て行ったとか、、もうこれは一生の不覚、当然その日以降、その同僚とはロスへ帰るまで一切口も聞かなかったのであります。向こうは理由も判らず困っただろうな~、、。

これが憧れだったトニー・カーチスとのニアミス劇、、恐らく時間にして数分、距離にして50メートルと離れていなかったんじゃなかろうか??一緒に日本食を食べれた千載一遇の機会、、本当に悔しかった、もう一週間くらい寝れなかったっけ。

この映画を再見しながらそんな昔の事を思い出してしまった。”校閲”さん、、これって以前にもブログに書いてますかあ??何となく書いたような気もするのだが、、もしそうだったらご容赦を、、

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