初演は1949年とまさに南太平洋での戦争が終わった直後、日本ではとてもそんなミュージカルだなんて余裕はない時代だ。原作を書いたのはジェームス・ミッチェナーでタイトルは”南太平洋物語”(”Tale Of The South Pacific”)、としてブロードウェイで公開されている。後年、映画化された時はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインが曲を担当し70mm映画としてロードショーされたのは1958年になってから。
映画ではロッサノ・ブラッツイ、そしてミッツイー・ゲイナーが主演に抜擢されたが170分の長尺版とあって見る側にも覚悟が必要だったっけ、。何せこの年代なのでリアルタイム映画館で見るチャンスは無かった、後年リバイバルだったで見たのが最初だがそれからTV画面では何度なく拝見している。
原作者のジェームス・ミッチェナーは朝鮮戦争を描いた、”トコリの橋”(53年)、”サヨナラ”(54年)、”ハワイ”(59年)等、太平洋や極東を舞台にした作品を書いていてそれらは全部映画化されている。特に”サヨナラ”では主演のマーロン・ブランドの相手役に抜擢されたナンシー・梅木が助演女優賞に輝いている、。
この原作とは全く関係ないのだが2年後には同じマーロン・ブランドが”サキニ”と言う沖縄在住の日本人通訳として今度は京マチ子と共演、”八月十五夜の茶屋”と言うヘンテコなコメディにも出ているのだ。
”南太平洋”に戻ると劇中使われて大ヒットしたのは”魅惑の宵”、”バリハイ”、等数多くあるのだが南の島を背景に(撮影はハワイのカウアイ島)戦争だった事を忘れさせるミュージカルに仕立てられている。ロッサノ・ブラッツイはこれとキャサリーン・ヘップバーンと共演した”旅情”が一番印象深いものがあるがアメリカ映画に出ている時でもそのキャラクターはイタリアン、、(”南太平洋”ではフランス人の役柄)を貫いた。
ミッツイー・ゲイナーは1931年生まれだったのでこの映画では27歳と輝いている頃、しかし元はミュージカル俳優さんでこの映画は”最後から二番目”の主演作となってしまい残念ながらその後、映画の出演は無くなってしまった。
この時代はこんな大型ミュージカルが数多く制作されていた、、”オクラホマ”、や”掠奪された七人の花嫁”なんてのもあったし、”ウェスト・サイド物語”がトップの座を奪うまでは随分とミュージカルで楽しませて貰った。