80年に公開されたこの”The Jazz Singer"、実はロスのシネラマ館でリアルタイムで見たのだが当初はてっきり主演のニール・ダイアモンドの伝記/ミュージカル映画だとばかり思っていた。しかし何のことはないオリジナルは27年に初のトーキー映画として制作されておりそのリメイクだったのだ。
そのリメイク版用に書き降ろされたのがニール・ダイアモンドの一連のヒット曲なのでこれは彼の半生を追ったものでユダヤ人社会に生まれた若者がジャズ・シンガーとして成功して行く様子はまさにニール・ダイアモンドだと信じていたのだ、、。
オリジナルのお話は、、;
ユダヤ教徒で司祭長(リメイクではサー・ローレンス・オリビエ)の息子であるジェイキー(同様にリメイクはジェスとなりN・ダイアモンド)は、後を継ぐよりジャズ歌手になることが夢だった。そんな彼は、酒場で歌っているところを見つかって勘当されてしまう。
その後、サンフランシスコ(リメイク版ではロスからネバダ)で歌手として地道に生計を立てていた。やがて才能あるミュージカル女優メアリーに後押しされ、トントン拍子に売れっ子となるジェイキー。だが念願のブロードウェイの仕事が決まり、明日が舞台初日というときに父が倒れてしまった。その日は教徒にとって大切な“贖罪の日”。代わりに賛美歌コル・ニドレを歌ってくれと、母が訪ねて来る。またとないチャンスを棒に振るのかと、舞台のプロデューサーとメアリーは引き留めようとする。母が悲しみ嘆願する姿を見て、葛藤するジェイキー。
だが瀕死の父の顔を見、代々の家業を継ぐことよりもこの日息子が歌ってさえくれれば、という言葉を聞き、ジェイキーは決心した。見事にイスラエルの賛美歌を歌うジェイキー。“ジャズ・シンガーが賛美歌を歌ってる!”とプロデューサーは感動する。この場面は、ほんとうに感動的だ。何とか彼は、ブロードウェイに復帰できるようになる。そして、母に捧げる内容の歌詞が、じっさいに母親を感動させるのだった。ジェイキーの舞台での役回りが黒人であったり、NYでのユダヤ人街といった設定、職業世襲制といった、古い文化を否定しきれない隠されたテーマも含まれている。 by allcinema
とまあこのオリジナルに近い設定で忠実にニール・ダイアモンドが熱演、、そして熱唱している。無論、音楽的にはその後、彼の代表的なヒット曲として世界中に認められたので気分は彼のライブステージを見ているようになるのだが、、、映画としての評価はオリジナルを超える事は出来なかった。
しかしこの頃のサー・ローレンス・オリビエはげっそり痩せてしまいそれ以前の作品とは全く印象が違う、、でもやはり実に巧いのだ。じゃあ”ナニがそんなに上手いのか?”と言われても困るが伝統的なイギリス俳優なのに妙なアクセントで息子を諭す場面や感情の起伏を”操る”仕草など、、など、この映画のあとにはかなり具合も悪かったようだが89年、82歳で亡くなっている。
そして野球ファンとしてはこの曲の事を書かないわけにはいかない、、。それは彼が69年に作曲作詞した”Sweet Caroline"である。ジョン・F・ケネディとジャクリーンの間に生まれたキャロラインを歌ったもので彼女が11歳の時にリリースされているのだ。
後年駐日アメリカ大使として活躍されていたがケネディ一家はマサチューセッツ、ボストンの出身、熱烈なボストン・レッドソックスファンでもある事から地元の試合では毎回8回にこの曲が場内に流れる、それがすっかり名物として定着しているのだ。まあニューヨークの場合はシナトラの歌う、”ニューヨーク、ニューヨーク”でこれは勝った試合じゃないと掛からないのだが、、、。
これはニールが特別出演して熱唱した場面、あのボストンマラソン爆破事件から立ち直る為に、”ボストン、強く”を標語にしていた頃じゃないか?
今年はそのレッドソックスが滅法強いのだ、、実に困っている。