”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”ダンシング・ヒーロー”(92年)

これは純正オーストラリア映画で1992年に公開されバズ・ラーマンの監督の地位を確固たるものにした処女作かつ代表作品だ。恐らく公開当時、オージーで見てない映画ファンはいないだろう。原題は”Stricktly Ballroom”だが邦題は”ダンシング・ヒーロー”に、主演を務めたポール・マーキュリオは一躍、ダンシングどころかエンタメ・ワールドのヒーローになってしまった。

 

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両親ともにダンサーのスコット(P・マーキュリオ)は社交ダンス界のホープで、彼が次期チャンピオンだと誰もが疑っていなかった。しかし彼は大会で自分のステップで踊り、負けてしまう。母親に責められ、怒ったパートナーのリズにも去られ、それでも自分のステップは間違っていないと主張するスコットは新しいパートナーを探すことになる。

しかし新しいパートナーは決まらず、次の大会の日付が迫ってきてしまい、回りはやきもきする。そんな時、スコットが一人で踊っていたところを、ダンス教室の生徒の一人フラン(タラ・モーリス)が物陰から見ていた。フランは勇気を出して、自分をパートナーにとスコットに申し出る。しかし、スコットは冴えない容姿に加えて素人同然のフランを自分のパートナーにするつもりはなく、断りかけるが、フランが披露したフラメンコ風ステップに魅せられ、二人は大会に向けて猛特訓をはじめる。

っと此処までは良くあるお話だ、アメリカなら”サタデイ・ナイト・フィーバー”や”フラシュ・ダンス”だしイギリスなら”リトル・ダンサー”(ビリー・エリオット)、日本なら”Shall We Dance?”ってところじゃなかろうか?

なのでストーリー自体には目新しいところはない、改めて拝見するとこの映画をきっかけにバズ・ラーマン監督は脇役から撮影陣その他に同じ顔触れを用意しているのが良く判る。最初見た時にはそんな事は思いもしなかった、。映画での挿入歌、”Love Is In The Air”は長い間ヒットチャートの上位に留まり日本でも映画以上にヒットしたんでなかろうか?既にワタシはあっちに居たので日本での事は判らない、。

 


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