”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

追悼 シドニー・ポワチエ

今朝こんな訃報が入って来た。シドニー・ポワチエ94歳で逝く、、との報道で自分でも確かめてみたがやはりIMDbもウィキにも死因は書かれていなかったが間違いはないようだ。その彼の代表作、”野のユリ”(63年)は初めてリアルタイムで映画館で接した作品だった。

当時、字幕なんか出やしないニューヨーク郊外のリバーデールは地下鉄高架下の映画館へ通り掛かりで入り見たのを良く覚えている。英語だってマッタク理解出来ないのに画面から伝わって来る彼の魅力にすっかり取りつかれ映画館を出る頃には100%映画を理解していた気がする。それをきっかけに続く”長い船団”、”偉大な生涯の物語”、”駆逐艦ベッドフォード作戦”、”いつか見た青い空”、”砦の29人”、”いつも心に太陽を”、”夜の大捜査線”、”招かるざる客”、、其処までは全部リアルタイムで鑑賞した。

後年、”手錠のままの脱獄”(58年)、”ボギーとベス”(59年)と過去の作品も見る事が出来たのだが60年代から90年代にかけての活躍が一番印象深いようだ。97年には”ジャッカル”と言うリメイク版にも出演していたが劇場映画としてはコレがもう最後の方だったような、、TV用映画とかにも出演していたが2000年代に入るとすっかり映画界からは消えてしまった。

 

f:id:guch63:20220108103721j:plain

 

なので今の20~40代の映画ファンにはリアルタイムで出演作を見るチャンスはなかったかも知れないな。そんな60年代から黒人俳優としてハリウッドで活躍の場を広げ業界に多大な貢献をした事で”大統領自由勲章”を受賞している。

これはウィキから拝借したのだが彼の両親はバハマ島出身でトマト栽培で生計を立てていたそうな、、それがマイアミへ取引で渡った折に母親の妊娠が判りそのままマイアミに住み着き生まれたのがシドニーらしい、、。

彼自身は二度目の結婚がジョアンナ・シムカスとで二人の女の子を授かっている。その前の結婚では何と1950年から65年の間に、これまた女の子ばかり4人の子沢山に恵まれていた。って事は50%の確率にも関らず6人の子供が全部女の子、、?

ボクの知人にやはり三姉妹でどうしても男の子が欲しい、、と最後にやっと4人目にして男の子を授かった野球人がいたっけ。ともあれ94歳ってのはどんな最後だったのか我々は知る由もないが長寿を全うした役者稼業ではなかったのか?心よりご冥福を祈りたい、、長い間、実に多くの作品で楽しませて貰いました。