”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”シャレード”(63年)

この映画、過去に何回も投稿していたと思ったら他の作品を語る上で記載してたようで単独では書いてなかった。主演はオードリー・ヘップバーンケイリー・グラント、監督はスタンリー・ドーネンで音楽はヘンリー・マンシーニ、。
オードリーの魅力満開のミステリーロマンスで舞台はこれっきゃないパリ、そしてジェームス・コバーンとかウォルター・マッソージョージ・ケネディも配役されている。
名作とは言わないがオードリーの為に作られたヘップバーンの映画、はっきり言って他の配役はどうでも良かった。ストーリーはなかなかサスペンスフルで冒頭、列車から一人の男が投げ出される。
一転して画面はジバンシーで着飾ったレジーナ(A・ヘップバーン)がスキー場でバカンスを楽しんでいる、休暇が終わってパリの自宅へ戻るのだが何故か自宅のアパルトマンは完全にもぬけの殻、家具や生活用品が一切合切キレイに消えているのだ。
そんな途方に暮れるレジーナの前にスキー場で出会ったピーター・ジョシュア(C・グラント)と名乗る男がやって来る。このオープニングが僅か10分程度の導入部だがもうすっかり画面から目が離せなくなる。
ヘンリー・マンシーニの如何にもパリの風景を描写しているようなタイトルソングと共にスタンリー・ドーネン監督はオードリーの魅力を100%生かし最後まで謎解きの要素を継続しながら魅せてくれる。
 
そう言えば来月はオードリーの誕生日だった、、;
1929年5月4日はオードリー・ヘップバーンの誕生日だ。本名はオードリー・キャサリン・ヘップバーン=ラストンと言ってベルギーのブルッセルで生まれた。母親はオランダの男爵夫人、父親はイギリスとオーストリアの血を引くビジネスマンだったらしい。
 
両親の離婚によりオードリーは母親とイギリスに渡り後年バレーのレッスンを、そしてモデル稼業に進んで行く、、48年にモデルの仕事中にあるプロデューサーの目に留まり小さな役柄で最初の映画に抜擢された。51年にはもうちょっと出番のあるセリフ付きの役柄もあったが意を決してアメリカへ渡り映画界へ挑戦する事になった。
 
そして運命の出会いが、、詳細は何処にも記載されていないのだが53年にウィリアム・ワイラー監督の元、グレゴリー・ペックの相手役、、と言うか完全に主演男優を食って主演女優の座に抜擢されている、、それが”ローマの休日”である。そして翌年はオスカー主演女優賞を受賞、アッという間にハリウッドでは頂点へ、。
 

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亡くなったのは93年、1月20日僅か63年の生涯を閉じてしまった。
 
日本のあるネット投票で主演作品ランキングってのがあった、、;
 
1位 ー ”ローマの休日
2位 ー ”マイ・フェア・レディ
3位 ー ”昼下がりの情事”
 
4位 ー ”シャレード
5位 ー ”暗くなるまで待って”
6位 ー ”麗しのサブリナ
 
 
7位 ー ”噂の二人”
8位 ー ”オールウェイズ”
9位 ー ”おしゃれ泥棒”
 
10位 ー ”ティファニーで朝食を
11位 ー ”パリの恋人”
12位 ー ”尼僧物語”
 
ティファニー”の10位ってのはちょっと意外だったがまあこんなもんでしょうか?うん、、”戦争と平和”が入ってない??”許されざる者”もないんか??
 
でも永遠の女優さんって事には変わりはない。これは日本だけの現象じゃない、オーストラリアでも人気ランキングじゃ必ず上位に来るし若手の女優さんはどうやっても追いつけない。映画ファンは若い世代が圧倒的に多い筈だがこれはちょっと不思議な感覚だった、、。