”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

野球シーズンも終わりです、、

4月からこの半年間、Foxで有料配信されたヤンキースの試合は全部見ている、、それが今日で2011年のシーズンも終わりである。宿敵、アメリカンリーグ、中地区の覇者デトロイトタイガースに2勝2敗のあとの5戦目、ホームでの最終戦、圧倒的に有利と言われながら今季一番心配されていた事が現実になり僅か一点差及ばず地区予選を通過出来なかった。
 
イメージ 1これは一昨年完成した新しい方のヤンキースタジアムで一度も行った事はないが此処で今日負けてしまったのだ、。
 
下町のリトルリーグに在籍した事もあるし身内に現役のプロ野球選手がいた事も自然と野球を身近に感じさせてくれたのだが、、残念ながらお目当ての球団ではなく家族優待券を貰っても周りは選手の家族達でどうも勝手が違う、応援出来ないのがタマにキズだった、。実家から後楽園球場は20分くらいの距離だったし在京球団として幼年期はジャイアンツのファンを自認していた。
 
1963年にニューヨークへ渡ってからはそりゃもうヤンキース一筋である。64年に開催された世界博覧会の跡地を拠点としてフランチャイズ化、新興球団としてニューヨークにはメッツが誕生したが見向きもしなかったな。その世界博には後年長嶋茂雄夫人となる西村亜希子さんと言うキレイなお嬢さんもいた、。
 
サラリーマンとして就職してからは所属していた営業部の愛好家と草野球もやっていた、、”ゾロメーズ”と言うチーム名で全員背番号がぞろ目、、11から99までちゃんと9人揃って社内対抗試合をこなしていたのだが同僚が3塁に滑り込んで骨折、仕事に支障を来たすようなら容認出来ないとの上司からのお達しで遭えなく草野球は頓挫してしまった、、。
 
そして今度は77年から83年までの6年間、ロス・アンジェルスに赴任していた間は当時全盛期のドジャースファンとして球場にも良く出掛けた、、。仕事の関係でドジャースのフロント、役員と知り合うチャンスがありこりゃもうファンでいない訳にはいかなかった、、球場が会社と自宅の中間だったこともあり会社帰りにも良く通った。
 
長嶋、王を主軸にしたジャイアンツファンであった時期が幼年期、それからヤンキースドジャーズと移って今は松井が所属していた事も大きく貢献しているが又、ヤンキースから目が離せない。それも地区優勝だけでアメリカンリーグの優勝決定戦にも進めずワールドシリーズは遥か彼方、、で2011年の野球シーズンは終了だ。毎年9、10月はペナントを争そう大事な時期で地区優勝すればリーグ優勝戦線に進み最後にアッチのリーグの覇者と競うのがワールドシリーズ、、残念ながら今年も夢が散ってしまった、、さあ映画に戻ろう、、。