”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ボクの初体験


その昔、東京の下町、築地に生まれて築地で育った割には”魚”が苦手だった。何故だったのかと思い起こすと庭を隔てたお隣さんが魚河岸の仲買業で毎日クサヤを庭先に日干ししていたのだ。何せまだ小学校の低学年だったハズだ、、、それが何ともはや毎朝クサイのだ。これが漁師町でもあったなら波の音にかき消されるし朝は魚で目覚めるのが当たり前だったろうが街中での生活だったのでガキの頭に”魚=臭い”、、が定着してしまいそれが苦手意識を作り出したのではなかろうか?

恐らく昭和で行けば28、29年の頃じゃなかっただろうか?何せ一番古い記憶を探ると銀座へはぶらぶらと歩いて行き裏通りの二階にあった寿司屋へ嫌々両親に連れて行かれていた記憶がある。そのお店は今じゃ銀座では三本指に入る名店らしいのだが残念ながら当時のワタシはそんなお店で”ツメ巻き”しか食べれなかった。随分両親も他のものを食べさせようと努力はしたらしいのだが、、(これは後年お店のオヤジさんそして二代目に聞いた話)何を出されても食べれなかったそうだ。それはしっかり記憶にある。

そのワタシ特製の”ツメ巻きスペシャル”とは、、、穴子のタレ、、そのタレだけを巻いたものである。どうやらあの手この手でこのガキを大人しくさせて置くには、、っでオヤジさんが苦心の末、編み出した特別メニューだったらしい。

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ボケた記憶を辿ってごマンとあるグーグル写真集からこれが一番当時のその寿司屋に近いのではないだろうか、、と選んだのがこれ。確か右の角から先は2~3席しかなくてそこには窓があった。壁には有名な日本l画家の絵があって(ゴルフをする人をマンガチックに描いたもの)、、その絵は鮮明に覚えているのだが作家の名前が出て来ない。

何とも勿体無い、、こんなお店でお寿司を食べなかったなどとは、後年、しっかり寿司を楽しめるようになり今度はオヤジをこっちが連れていくようになり払ったのは向こうですが、、、二代目には随分からかわれたっけ(当時は丁稚奉公でお茶くみ専門)でも長きに渡って何ともウマい寿司を食べさせて貰った。

当時はとっくに”ツメ巻き”を食い終わり絵を書くのにも飽きて窓から下を眺めているとお隣のキャバレー入口で”女給”さんがアメリカ人のお客さんと”キス”をしていた、、それを目撃したこのガキは大騒ぎして両親に言いつけたとか、何を言ったのかは覚えがないのだが、アレが恐らく始めてのリアル・キスシーンの目撃談ではなかろうか。

寿司、、やはり日本の板さんが手袋なしで握った美味いヤツをカウンターで楽しみたい、、昨今幾ら世界中で寿司の人気が、、とは言ってもオーストラリアにいる限りこの願いはかなわないだろう、ネタの種類や新鮮さもそうだがシャリ、店構え、サービス、、そして握ってっくれる職人さん、これは絶対に伝統ある日本の本物にはかなわない。

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