”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”新・ガンヒルの決斗”(71年)

これは西部劇の巨匠、ヘンリー・ハサウェイ監督の”小品”ながらグレゴリー・ペックが主演で異色西部劇に仕上がっている。しかし乍ら邦題には”新”が、、って事は”旧”もあったのかと思い調べたら”ガンヒルの決斗”と言うのがあった。

そっちの”新”がつかない方はカーク・ダグラスが主演で此方もアクション映画の筆頭、ジョン・スタージェスが監督だった。制作公開されたのは1959年で大分以前のお話し、、それに原題は”Last Train from Gun Hill”となっていて邦題の意味するところは理解出来る。でも”新”はそりゃ舞台はガンヒルだが原題は”Shoot Out”で全くストーリー的には関連性がないのだ。

日本の配給元ではこの”新”とか”続”を何の関連性もない映画につけるから見る側はかなりまごつく。マカロニ・ウェスタンとして(アメリカじゃスパゲッティと称される)そりゃもう誰からも”名作”と称されるクリント・イーストウッドの”続・夕陽のガンマン”だって原題は”The Good the Bad and the Ugly”なのに何の関連性もない”夕陽のガンマン”とは続編でもなんでもないのだ。

 

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そのガンヒルで決斗をするってお話だって別に広場で決斗する訳でもないしストーリー的にはぶっちゃけ”子連れ狼”なのだ。同監督があのジョン・ウェインにオスカー主演男優賞をもたらしたルースター・コグバーン役、”勇気ある追跡”(69年)と同じような展開だ。要するに子供が虐待、或いは置き去りになりその犯人を追って復讐の旅に出る、、そんなお話だ。

この”新”ではグレゴリー・ペックはしがない銀行員、悪い仲間に誘われて銀行強盗を敢行するがその仲間に裏切られ逃げる間際に銃で撃たれてしまう。重傷を負い逮捕され7年間も監獄へ、、やっと釈放されるが妙な行きがかりで6歳の少女を引き受ける事になる。そしてガンヒルと言う街を目指し裏切りの張本人に仕返しを、、と言う展開だ。

しかしその張本人を見つける前に敵は三人の殺し屋を差し向けて来ている、。そいつらをまず倒さないとガンヒルへ辿り着けない。その三悪人が極悪非道でクレイ(G・ペック)には次から次へと難題が振りかかる、果たして子連れの復讐劇はどうなる、と最後まで目が離せないのだ。

全体的には後年、リメイクされているコーウェン兄弟監督の”トゥルー・グリッド”にも通じるところがあるがあんまり強くないクレイから目が離せない、、それにおしゃまで感情豊かな子役のデッキーが実に巧いのだ。クレイとしては何処か引き取ってくれる家庭を探すのだが何処へ行っても断られる始末、止む無く最後のガンヒルまで同行する事になってしまう、。

西部劇では終盤になってその子役が重要な役割を演じる事になるのが常で”シェーン”でもそうだった、。このガンヒルでもそのデッキーが最後にクレイを助ける事になるとは、、何もお釈迦様じゃなくても想像は出来たぜ。

 

 

 

ハリウッド史上最初に日本人スターとして君臨した早川雪洲 (再)

  • 今朝はもうブログのネタがネタニエフだ、、っで思い出した。ハリウッドだって昔の映画をリメイクするんだから別にオレが同じことをやっても悪くないだろう、っで実は”戦場にかける橋”を再投稿しようと思って振り返ったらこんな事を大分昔に書いていた。Yahoo時代の12年も前の投稿で自分でもすっかり忘れていたのだがそれをリメイクしてみた。

 

 

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冗談みたいだがこの写真の好男子の本名は早川金太郎と言う。何故この時期、この人に遭遇したのか、、ガキの無いものねだりじゃないがこの歳になると欲しいものをすぐにでも手元に取り寄せたい。ワタシの場合はそれが“本”であるケースが多いのだがこの数ヶ月最初は何気なく手にした、佐々木譲氏の単行本にすっかりはまってしまった。

執筆時期は前後するが“警官の血”を読んだあとにTV放映化されると言うので娘にDVDで収録させてわざわざ送らせたほどだ。しかしそれ以前の戦争3部作と言われた“ベルリン飛行指令”、“エトロプ発緊急電”、を連続読破し最後になった“ストックホルムの密使”、これをどうしても読みたくなりアマゾンやらブックオフで検索し、家内に今度これを買うつもりだが他に欲しいものはある、、?と聞いた所、間髪を置かず“ナニ、これ読みたいの、、?”と出されたのには唖然とした。何の事はない、我が家の書棚に埋もれていたと言う訳で普段翻訳ものミステリーした読まないワタシには全く興味がないものだと家内が勝手に決め付けていたような、、。

どうしてこの金太郎転じて芸名、早川雪洲かと言うと、その小説の中で戦争中のパリを舞台に彼が実名で登場するのである。無論挿話は多分にフィクションではあるが思えば1886年千葉で裕福な網本に生まれ、その波乱万丈な生涯をハリウッド、ニューヨークそしてパリを始めヨーロッパ各地で過ごした彼の俳優人生がそれ程一般には知られるところではないのではないかと思い至った。勿論今の若い世代では名前さえ知らないだろうがまさに一世を風靡した本場銀幕の大スターとしてその存在は我々おっさんの世代でもリアルタイムではないのだからその雄姿や人気度は想像も出来ないであろう。

彼の伝記には大いに興味があるが単身渡米し13年にシカゴ大学を卒業、ロスのリトルトウキョウに活動の場を移し色々とご苦労をされた由、そんな時代に英語も満足に喋れなかったであろう青年がハリウッドのスターの座を射止め、脚光を浴び、銀幕に君臨していた、それだけでも心が弾むではないですか。それこそ映画化に値する我が日本人俳優像ではないだろうか、、どうです脚本家諸氏?さしずめ主演はダレにしましょうか、、?

今でもハリウッドの撮影現場では業界用語に”セッシュウ”と言うのがあるそうな、、何でもこれは背の低い俳優さん用に使用する踏み台の事で相手俳優さんと釣合いが取れるように何時も何処かに常備されているような、、トム君に聞けば知っているかも。

“戦場にかける橋”でのサイトウ大佐役が一番印象深いものであるが当時既に70歳を越す頃であった訳でもっと若い頃の洋画や邦画を改めて見たいと切実に思い始めた、、しかしそれこそガキの無いものねだりであってそうは簡単に行かない、、こんなインターネット一つで簡単にダウンロードが出来る時代なのに何故もっと手軽に彼の主演作が見れないのだろう、、果たしてそんな日が来るのであろうか。

 

追記:

当時毎回コメントを投稿して頂いていた九州在住の方から彼の初期の映画でハリウッドで評価の高かった”チート”と言う作品をビデオに録画して送って貰った事があった。まだサイレントの時代で画面の下部に出る英文を(日本語併記)を読むのだが若き金太郎が徹底した悪役を演じていた。アレはハリウッドのプロデューサーの目に留まっても不思議ではなかった、。

”ホテルローヤル”(20年)

何故か分厚い原作を買ってしまったのはまだ札幌が雪に埋もれている時期だった。何気なくNHKの番組でインタビューに答えていた直木賞を受賞したばかりの桜木紫乃氏がとても新鮮で魅力的に感じた。それに北海道も釧路市出身で実際にご実家はラブホを経営されていたと伺ってからは興味津々だった。

 

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アメリカのNY州にあるコーネル大学、其処のホテル経営学科ではそのラブホってのは世界を見回しても他に類を見ない程に収益率の高い営業形態でそれを検証するコースまである。コスパの算出から立地条件、建設費、更には一室あたりの売上予想額、修理修繕費の積立金確保と幅広い学習内容になっていて当時15人程度のクラスの中には日本人はオレだけ、、教壇に立つ教授から何度となく配布された資料の検証、補足説明、そして概略説明や運営方法を伝授して欲しいと持ち上げられ檀上にも立たされた。

日本人なら全員が行った経験があるんじゃない、、と思われるのが嫌だったし”オレは入った事がない”、とクラスの全員に納得させるのに余計な時間を費やされたっけ、。Y教授も実に人が悪い、オレは都内でも有数のシティ・ホテルから来ていると言うのに知らんぷりで聞く耳を持っていなかったのだ。

現に東京都内の一流ホテルじゃ宿泊費の売り上げの数倍を結婚式やその他宴会で確保しているのだぞ、と言う説明をなかなか信じて貰えなかったっけ。無理もないアメリカ国内のホテルじゃ宿泊に占める収益が全体の80%以上になっている時代だった。

ああ、イケネーこりゃ脱線した。その現実社会での桜木紫乃が映画では田中雅代になりそれを波瑠が演じている。原作はてっきり長編小説だと思っていたのだがそうじゃなくて短編集、映画でもオムニバス形式でその”ホテルローヤル”でつかの間の休息を得る主に3つのカップルの群像劇だった。

主役の波瑠は知ってはいたが映画でお目に掛るのは初めてかも知れない、。メガネ姿は妙にご本人に似ている雰囲気だが若い時はあんなに無口だったんだろうか?映画化はかなり原作に近く、、と言うかそっくりそのままなのでナニがどうなるかはすっかりこっちもお見通し、衝撃的な違いは発見出来なかったし予想通りに淡々と各エピソードが描写されて行く。

こんな場合は原作を先に読んじまった事でどうなるかを予想する面白さは半減する。字面で勝手に判断していた登場人物がかなり人物像としてマッチしているのは嬉しいし役者さんの別の一面を垣間見る事が出来た、、とは言ってもオレの知っている俳優さんはかなり限定されているので先入観は一切なかった。

海外では古くはアーサー・ヘイリー原作の”ホテル”、近年ではウェス・アンダーソン監督の”グランド・ブダペスト・ホテル”等々秀作が多くある何れも多くの宿泊者やホテル側の人間が登場しサスペンス調ありコメディありで絢爛豪華な背景が見どころだった。まあラブホが舞台じゃそれ程多くの登場人物は想定出来ないし此処は桜木志乃のトゥルーストーリーって事に落ち着くんだろう。

 

 

 

 

タイムトラベルはお好き?

映画の題材としてはこんなに興味ある設定はないくらい、古今東西、宇宙ものから戦国時代へ飛ぶものや永遠のロマンスを誓うもの、それに完全にコメディ風からかなり深刻な作風と色々制作されている。

そんなタイムマシン映画でも必ずやランキングに登場してくるのは、、;

”バック・トウー・ザ・フーチャー”、”猿の惑星”、”インターステラー”、”メッセージ”等でそれこそもう何回も見せられているのだ。個人的には最初に原作者、H・G・ウェルズが書きそれを映画化した”タイム・マシン”(60年)はもうカルトクラシックとして忘れられない。主演はロッド・テイラーでイベット・ミミューが共演してた。その後、2002年にガイ・ピアースでリメイクされているが(原作に忠実に)やはり最初に見たオリジナル版の方がインパクトは強かった。

 

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1995年には異色タイムマシン映画として公開されたのが”12モンキーズ”、鬼才テリー・ギリアム監督で主演にブルース・ウィリス、それにマデレーン・ストウで未来から送り込まれて来たジェームス(B・ウィリス)がウイルスが蔓延して滅亡の危機に晒された地球を救う為にやって来た。

ロマンス系としては”きみが僕を見つけた日”と何やら日本の映画みたいだが原題は”Time Travellers Wife"はエリック・バナが主演で自分じゃどうにも調整出来ないのだが過去や未来に勝手に飛んでしまう主人公を熱演していた。

 

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同系列としては”フォーエヴァー・ヤング / 時を越えた告白”(92年)なんてのもあってメル・ギブソンが実に印象的なパイロット役を演じていた。恋人が事故で意識不明に陥りその彼女が元気だった頃へ飛び愛を告白する、、と言うストーリーで現世に帰る希望を捨てて時の彼方で彼女と結ばれると言うラストだった。

 

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うん、気が付いたらタイムマシンものだった、、と言うのがトニー・スコット監督でデンゼル・ワシントン主演の”デジャヴ”(06年)と言う作品だ。完全にこれは犯罪、事件捜査の映画だと思っていたら終盤に来て妙な展開に、これは意表をつかれた。

更には”アデライン、100年間の恋”(15年)と言う事故と落雷から不老の身となったアデライン(ブレイク・ライブリー)が事故当時の29歳のままに100年を生きると言うお話だ。当然周りの人はどんどん加齢して行くのでアデラインは住所を変え、名前を変えながら終わりのない人生を生きて行くこれまたタイムマシンものとは言っても異色な展開だ。

異色作と言えばウッディ・アレン監督の”ミッドナイト・イン・パリ”(11年)もその筆頭かも知れない。小説家を目指すギル・ベンダー(オーウェン・ウィルソン)はある晩、パリのとある街角でやって来たタクシーに乗るのだが連れて行かれた先には古き良き時代のパリが、、其処には音楽会の重鎮や有名なミュージシャンが出入りしている、と言う設定だ。これは華やかなパリの社交界を再現した作品でウッディ監督の作品としてはボクの好きなベストスリーに入る映画だった。

っとまあそんなタイムマシンものがあるのだがこれは昨日映画館へ出向いて見た”ファーザー”の現実的重さに逆反応した投稿かも知れない。オレにも一度で良いから行きたい過去の場面があるのだが、どうやってもその夢は叶わないだろうな?

 

"ファーザー”(20)年

遂に札幌には”緊急事態宣言”が発令されてしまった。これまでの”外出自粛”を求める要求とは違って大型店舗や関連行政の窓口や街のレストランまでが休業要請の対象に、、でもそんな事はものともせず朝っぱらから映画館へゴー、それも8:50分の回だ。昨日までは11:15の上映もあったし6回も上映されていたのにこの”緊急事態宣言”のせいか朝、イチバンっきゃ上映されていないのだ。

実に久し振りの大画面、やっぱり映画はこれじゃないと、でも見た映画は”ファーザー”、こんな大画面じゃなくても良かったのだが2時間の上映時間、時間の経過をすっかり忘れて最後まで瞬きもせずにのめり込んで来た。

主演は今年、アカデミー賞で主演男優賞に輝いたアンソニー・ホプキンズ、それと娘のアンを演じたオリビア・コールマン(彼女も主演女優賞にノミネート)、監督はフランス人のフロリアン・ゼラーで原作ではパリが舞台だったが映画化ではロンドンになり言語も英語となっている。原題はそのまま”The Father"、で認知症が進む父親と娘の葛藤がメイン・テーマだ。映画の本筋はかなり”ヘビー”な展開で決して笑って見続けられる映画ではない。むしろ明日は我が身、、とつい乗り出してしまうし自分がそうなったらどうしよう、、とそればかりが頭の片隅に残ってしまう。

良く人は”名演技”とはどんなもんですか?と言うが端的に言えば映画でも舞台でもそのキャラクターに成り切る事がまず最初に挙げられる。見ている側はその当人が実際にはどんな人かも知らない訳だし観客としてはその役に成り切っているのかどうかの判断は難しい。

 

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まあ架空の人物をその役者さんなりの感性で演じる事が出来るのが役者さんの特権だとして観客は自然とその演技に共感し演じられている人物像に知らずにのめり込んでしまう、、それが見事に成し遂げられた場合にそれは”名演技”として認めて良いのではなかろうか?無論それに否応なしに付いて来るのが感情豊かに、或いは激情に駆られながら語るセリフだって重要な要素である。

ついそんな事を思ってしまったアンソニー・ホプキンズだった。日本のメディアは誰かの訃報に接したりするとすぐに”名優”だった、、あの”名優逝く”と直ぐに連発するがそんな安売り名優とは一線を画した真の名演技で魅せてくれた、はこんなケースに使われて然るべきだと思う。

これまで”日の名残り”では限られた分野で類い稀な才能を発揮する執事役、それも淡い恋心を胸の内に仕舞い込んで仕事に没頭する役柄、”羊たちの沈黙”では完全なるサイコパスキラー、、それも頭脳明晰で必死になっているFBIの捜査努力を欺ける人物像、更には自身の夢を追いかけオートバイレースで世界記録を更新してしまう老練の夢多きレーサーを”世界最速のインディアン”で見せてくれた。

映画の幕開けは娘のアンとの会話で始まる、どうやら父のアンソニーの世話をする為に介護士が来ていたようだがその女性が自分の腕時計を盗んだとかで口論になり追い出してしまったらしい、。それに既に亡くなっているもう一人の娘が最近、顔を見せないと嘆いているのだ。

そんな状況でアンソニーの症状は日毎に悪くなっていく、、画面には過去、現在そしてアンの別れた夫のポールやもう一人の娘、ローラが出て来るがどれも彼の頭のなかでの出来事らしく観客は一体どれが真実で現在はどうなっているのかまごついてしまう。

アンソニーが語るセリフから一体何が真実なのかそしてどの程度彼の認知症は進んでいるのかを推察するしかない、、ヒントはアンのセリフで彼女が現実に見ている事柄が一番正しいもので自身がパリへ越すことを決めたのはどうやら現実に進行中の出来事って事が判って来るのだ。

そんなであっと言う間に映画は終盤へ、、アンが訪問した後なのかタクシーで去っていく。カメラは室内へ入りアンソニーが自分の部屋で目覚め、介護ヘルパーさんに”さあ、お天気も良いので公園へ散歩に行きましょう”と優しく誘われている。その後に、どうやらアンソニーが目覚めたのはあれだけ入るのを嫌がっていた何処かの施設らしいって事が判る。そしてヘルパーさんにさっき帰ったアンやいまだにやっても来ないローラはどうしているんだろう、、と尋ねている。

更にカメラはカットされずにそのまま長回しでバンするが過去と現在が交差する中で自身が壊れていくと訴える場面、そしてアンソニーが”マミー、マミー”と自分の母親を呼んで号泣する、、この僅か数分の為にこの映画はあったのだ。実に素晴らしい後世に残る名場面だった、マスクの中に涙がこぼれ落ちてしまいしょっぱいたらなかったぜ。これこそ名優が演じた素晴らしいラストシーンではなかろうか?