”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ハリウッド史上最初に日本人スターとして君臨した早川雪洲 (再)

  • 今朝はもうブログのネタがネタニエフだ、、っで思い出した。ハリウッドだって昔の映画をリメイクするんだから別にオレが同じことをやっても悪くないだろう、っで実は”戦場にかける橋”を再投稿しようと思って振り返ったらこんな事を大分昔に書いていた。Yahoo時代の12年も前の投稿で自分でもすっかり忘れていたのだがそれをリメイクしてみた。

 

 

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冗談みたいだがこの写真の好男子の本名は早川金太郎と言う。何故この時期、この人に遭遇したのか、、ガキの無いものねだりじゃないがこの歳になると欲しいものをすぐにでも手元に取り寄せたい。ワタシの場合はそれが“本”であるケースが多いのだがこの数ヶ月最初は何気なく手にした、佐々木譲氏の単行本にすっかりはまってしまった。

執筆時期は前後するが“警官の血”を読んだあとにTV放映化されると言うので娘にDVDで収録させてわざわざ送らせたほどだ。しかしそれ以前の戦争3部作と言われた“ベルリン飛行指令”、“エトロプ発緊急電”、を連続読破し最後になった“ストックホルムの密使”、これをどうしても読みたくなりアマゾンやらブックオフで検索し、家内に今度これを買うつもりだが他に欲しいものはある、、?と聞いた所、間髪を置かず“ナニ、これ読みたいの、、?”と出されたのには唖然とした。何の事はない、我が家の書棚に埋もれていたと言う訳で普段翻訳ものミステリーした読まないワタシには全く興味がないものだと家内が勝手に決め付けていたような、、。

どうしてこの金太郎転じて芸名、早川雪洲かと言うと、その小説の中で戦争中のパリを舞台に彼が実名で登場するのである。無論挿話は多分にフィクションではあるが思えば1886年千葉で裕福な網本に生まれ、その波乱万丈な生涯をハリウッド、ニューヨークそしてパリを始めヨーロッパ各地で過ごした彼の俳優人生がそれ程一般には知られるところではないのではないかと思い至った。勿論今の若い世代では名前さえ知らないだろうがまさに一世を風靡した本場銀幕の大スターとしてその存在は我々おっさんの世代でもリアルタイムではないのだからその雄姿や人気度は想像も出来ないであろう。

彼の伝記には大いに興味があるが単身渡米し13年にシカゴ大学を卒業、ロスのリトルトウキョウに活動の場を移し色々とご苦労をされた由、そんな時代に英語も満足に喋れなかったであろう青年がハリウッドのスターの座を射止め、脚光を浴び、銀幕に君臨していた、それだけでも心が弾むではないですか。それこそ映画化に値する我が日本人俳優像ではないだろうか、、どうです脚本家諸氏?さしずめ主演はダレにしましょうか、、?

今でもハリウッドの撮影現場では業界用語に”セッシュウ”と言うのがあるそうな、、何でもこれは背の低い俳優さん用に使用する踏み台の事で相手俳優さんと釣合いが取れるように何時も何処かに常備されているような、、トム君に聞けば知っているかも。

“戦場にかける橋”でのサイトウ大佐役が一番印象深いものであるが当時既に70歳を越す頃であった訳でもっと若い頃の洋画や邦画を改めて見たいと切実に思い始めた、、しかしそれこそガキの無いものねだりであってそうは簡単に行かない、、こんなインターネット一つで簡単にダウンロードが出来る時代なのに何故もっと手軽に彼の主演作が見れないのだろう、、果たしてそんな日が来るのであろうか。

 

追記:

当時毎回コメントを投稿して頂いていた九州在住の方から彼の初期の映画でハリウッドで評価の高かった”チート”と言う作品をビデオに録画して送って貰った事があった。まだサイレントの時代で画面の下部に出る英文を(日本語併記)を読むのだが若き金太郎が徹底した悪役を演じていた。アレはハリウッドのプロデューサーの目に留まっても不思議ではなかった、。