”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ヒッチ爺の好み VS オレ好み

このところ古い映画に捉われている、、っと言うかBSNHKのお世話になっているので自分じゃ勝手に見たい映画を選べないだけなんだが、。そのラインアップでは何故かヒッチコック監督の作品が多い、そのヒッチ爺さんご自身が撮影に関わっていた映画で”サイコ”完成までの暴露ものを拝見した。

邦題は”ヒッチコック”(12年)でご本人をアンソニー・ホプキンズ、そして生涯を遂げた奥方のアルマ・レビルをヘレン・ミレンが演じていた。その映画で奥さんが口癖のように言っていた事が彼の”女癖の悪さ”だった。これは周知の事実で彼や出演した女優さんの伝記を読んでも毎回毎回、機会があれば主演女優さんに言い寄っていたのは事実らしい、。言い寄って成功した暁に主演女優として抜擢したのか、主演した後に言い寄っていたのかは不明だが、、。

そんな爺さんが好きだった女優さん、それにこのジイさんの好きだった人を重ねてみた、(アメリカへ渡った1940年以降);

まずはジョーン・フォンテインの”レベッカ”(40年)共演はローレンス・オリビエだがアメリカへやって来て最初のサイコ・スリラー、そりゃ彼も失敗は許されないと人気抜群だったジョーンを抜擢したんだろう。翌年には同じジョーン・フォンテインを今度はケイリー・グラントと組ませ”断崖”(41年)を撮っているのでかなりお気に入りだったと推察される。

イングリッド・バーグマンはその後になる、”白い恐怖”(45年)に抜擢しグレゴリー・ペックと共演だ。翌年には再度、ケイリー・グラントを相手役にして”汚名”(46年)と連続して登場、彼女もかなりお気に召したようだ。

アルダ・ヴァリを新人俳優として抜擢したのはその後で映画は”パラダイン夫人の恋”(47年)、これにも男優はグレゴリー・ペックでかなり巧妙な犯罪モノなんだがヒッチ監督作品としての知名度はさほど高くないのが残念だ。

マレーネ・デイートリヒ、彼女がヒッチ爺の目に留まった作品は”舞台恐怖症”(50年)、これは日本では公開されすにDVDスルーだったようだ。原題は”Stage Fright”と言うのだが見るチャンスがこれまでない、、。

 

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グレース・ケリー、初登場は”ダイヤルMを廻せ”(54年)で共演はレイ・ミランド。この映画でぞっこんだったグレース・ケリーはその後、”裏窓”(54年)、”泥棒成金”(55年)と連続して抜擢されている程に大のお気に入りだったようだ。

その後、シャーリー・マクレーン(”ハリーの災難”(55年)やドリス・デイ(”知りすぎていたいた男”(56年)、ヴェラ・マイルズ”間違いられた男”(56年)等の女優陣もいたのだが映画の出来は別にして余り彼のストライク・ゾーンじゃなかったようだ。

キム・ノバックにはかなりご執心だったらしい、、映画は”めまい”(58年)これは先の伝記映画で奥さんのアルマが劇中のセリフでもこぼしていたいたのでかなり周知の事実だったんじゃなかろうか?

エバー・マリー・セイントは”北北西に進路を取れ”(59年)、これはもう彼の代表作として世界中の映画ファンが認めるところなので女優さんの印象は薄くなってしまった、、。

ジャネット・リーは”サイコ”(60年)に大抜擢、、まあ出番は少ないので映画の評価とは裏腹に彼女の叫び声だけが何時までもこだましているのだが、、。

 

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ティッピ・ヘドレン、やはりヒッチ爺は金髪系がお好きだったらしい、グレース・ケリーのような雰囲気で”鳥”(63年)に大抜擢、それまでCMでの活躍だったこの美女を一気にスターダムに押し上げた作品、翌年”マーニー”(64年)にも登場している。

この辺りでかなり愛妻のアルマにやり込められたらしい、ティッピ・ヘドレンの伝記にもその顛末が掲載されているのだがその後、ジュリー・アンドリュースを主演にした作品があるがそれっきりだった、。

遂にオードリー・ヘップバーンとは遭遇しなかったって訳だ、。

 

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