”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”恋愛専科”(62年) スザンヌ・プレシェット

アン・バンクロフトが舞台に立ち”奇跡の人”のサリバン教師を演じていたのと同じ頃、実はこのスザンヌ・プレシェットも舞台に立ち同じ役柄を演じていた。幾らブロードウェイでも同じ”奇跡の人”を二館で上演する訳がないと思うのだが58年にはこの役で脚光を浴びたそうだ、、。

そして62年には映画へ、”恋愛専科”(原題はRoma Adventure で完全に”ローマの休日”のパクリ)でもこの邦題は映画同様にヒットした。お相手はトロイ・ドナヒュー、、そして実生活でもこのお二人は最初の結婚を、。

イメージ 1映画の出来はそこそこ、、他愛のないローマを舞台にした恋愛遊戯だったがロッサノ・ブラッツイやアンジー・ディッキンソンも配役されていて日本では主題歌の”アル・ディ・ラ”と共に大ヒットした。62年の映画とあっちゃリアルタイムでこの二人を知る映画ファンはシニア圏か??

黒髪で端正な顔つき、、実母がダンサーだけあってスラリと足が長くて日本人好み、更に日本人女性には人気抜群だったトロイ・ドナヒューと共演したとあっては話題性充分、(別に日本だけでヒットした訳じゃないらしい)そして映画の撮影終了後、64年には結婚したものの僅か数ヶ月で離婚となってしまった、。

この”恋愛専科”の直後今度はトニー・カーチスと共演して”40ポンドのトラブル”と言う映画にも出ている。この映画ではカジノの舞台で歌う歌手、、トニー・カーチス扮するカジノの支配人がてっきりボスの愛人だと勘違いして手を出したくても出せない、、最後はデイズニーランドを舞台に追いつ追われつのドタバタ劇になるのだが何故か東京は日比谷のスカラ座で見たこの映画にその後30年余に渡って”感化”されてしまった。

そして63年にはヒッチコック監督に抜擢され”鳥”へ出演、、先のアン・バンクロウトが断ったアニー・ヘイワース役(鳥に惨殺される役柄)だがその扱いは主演のティッピ・ヘドレンとは雲泥の差だった。あれじゃアン・バンクロフトが断るのも判る気がする、、舞台で同じサリバン教師を演じた仲なので双方に対抗意識があったんじゃないだろうか??

その翌年にはトロイ・ドナヒューと共演して西部劇へ、、”遠い喇叭”、、当時ラッパって喇叭と書くんだと妙に感心したっけ、、。そして60~70年代はかなりの映画に出演しているのだが遂に主演の座を射止める事はなく70年代後半はテレビ界へ、、90年後半には殆ど”開店休業”状態でアニメの声優やテレビシリーズのエピソードへのゲスト出演、、08年、70歳で亡くなってしまった。

とっても好きな女優さんだった。37年生まれだったので60年代の頃は20代半ば、って事はワタシとは10年も差がなかったんだ、、もっと色々な”秀作”で活躍して欲しかった。

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