”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ベスト・オブ・ロバート・デ・ニーロ

1943年生まれなので今や78歳になる。ニューヨークはマンハッタン生まれで父がイタリア系、母はイギリス、ドイツ、フランス、オランダ等の混合でモロ第二次世界大戦中の様相だ、。若くして俳優業に目覚めその目的を達成する為に演劇学校へ通っていたらしい。

 

 

当初は無名だったブライアン・デ・パルマ監督と親しくしていたがその後、切っても切れない関係となるマーティン・スコセッシ監督に見いだされ”タクシードライバー”や”レイジング・ブル”、”グッド・フェローズ”、”ケイプ・フィアー”で開花している。それと前後してフランシス・フォード・コッポラ監督に大抜擢され”ゴッドファーザーII"では若きドン・コルレオーネを演じているのだがこれが世界の頂点に立つ役者=映画=各種映画賞の獲得に繋がりロバート・デ・ニーロを名実共に俳優業の頂点へ押し上げてしまった。

 

ゴッドファーザーPart II"(74年)

タクシードライバー(76年)

ニューヨーク・ニューヨーク (76年)

 

 

ディア・ハンター (78年)

レイジング・ブル (80年)

恋に落ちて (84年)

 

アンタッチャブル (87年)

ミッドナイト・ラン (88年)

グッドフェローズ (90年)

 

レナードの朝 (90年)

ケープ・フィアー (91年)

カジノ(95年)

 

ヒート (95年)

Ronin (98年)

ミート・ザ・ペアレンツ (00年)

 

マイ・インターン (15年)

ありゃこれじゃ10本で収まらない、、。他にも多くの出演、主演作品があるのだがこれらは全部☆☆☆☆な映画である。

こうして見るとハリソン・フォードみたいに大ヒットしたシリーズと言うのは”ミート・ザ・ペアレンツ”(3本)以外には見当たらない。それはご本人が嫌ったのかそれともそんな企画が持ち込まれる事が無かったのかは判らないがアメリカの映画界を語る上で居なくてはいけない存在である事は間違いない。