”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

演歌も良いじゃないですか?

これは昭和52年の紅白らしい、、西暦1977年の事である。実はこの年の7月にアメリカに転勤になりこの紅白は勿論この歌手、石川さゆりも知らなかった。あちらに6年間赴任していて途中、小中学校時代の親友に”オマエの勤務先で結婚式をやるからどうしても出席してくれ”と言われあれは確か79年、、、あっ、イヤだもう30年も前のハナシじゃないか、、じゃもう時効だからバラしちゃおう。


式の日取りが決まり何とか此方も出張にかこつけて4日間だけ帰国する事になった、、同級生諸君も何人か出席するとの事で事前に招待客の着席表も送られて来た。ふーん、隣りは石川さんでそのお隣が母上、同じテーブルには同級生はいないじゃないか、、しかもテーブルがわりと来賓席に近い、、。司会は玉置宏さん、、それってあの名調子で歌手を紹介する人かな、、?そんな事を考えて式の当日、我々は自前のタキシードとか礼服を持っているのでロッカーで着替えるだけそしていそいそと宴会場へ。新郎新婦に挨拶して同級生諸氏とも暫し歓談、”ナンでオマエは俺たちと一緒のテーブルじゃないんだ?”、”そんな事知らんよ”、”で何処のテーブル?”、”ほらあそこの石川さん親子とかの隣りだぜ、、”、”ええっーー、ええっーー、何でそうなるの?何でオマエが石川さゆりの隣りなんだ~”、”ダレっそれ?”、”バカったれっ、ほらあの”津軽海峡~”を歌った人だよ、、”、、、そんなで着席する前から大騒ぎになっちまった。

知らないって事は恐ろしい、最後まで知らなきゃもっと良かったのに事前に知っちまったからそれなりに緊張しながら着席。お隣の母娘にもちゃんとご挨拶、、早速ウェイター連中が飲みものを配りに来る、、しかし我々社員には絶対に犯してはならない規則がある。それは社内では如何なる場合でも禁酒って事だ、其処はウェイターも知っていてオレには冷たいお茶しか出して来ない、、でも顔見知りの社員が皆不思議そうな顔で来る、しかも呼んでもいないのに、、オレに会うフリしてか、判った隣りのさゆりちゃんを見に来てるんだ。

当時は彼女もデビューしてまだ数年、若くて綺麗だった、、今でもだが。3時間余りの宴席を最後まで色々とご苦労話や将来の事を聞きながら楽しい会話を楽しませて貰った。宴席もたけなわ、祝辞で人が席を立つようになると目ざとく彼女の席まで押し寄せてはサインをねだる人がひっきりなし、、いやな顔一つせず丁寧にサインペンを走らせていた健気な姿が印象深い、、。

こうしてこの曲を聴くと思い出す、全くこんな感じのお嬢さんだった。別に気取った訳じゃないがお隣に3時間近くもいて色紙にサイン一つ貰わなかった、、電話番号は、イヤ、そうは問屋が卸さない。個人的にはめっちゃ忙しくてとてもそんなヒマはなかったしトンボ帰りでアメリカに帰るんだし、、。この親友、実は呉服屋の御曹司でその前年に石川さゆり嬢に年間契約で着物を提供する事になったばかりとか、要はキモノには宣伝文句は入らないが歌に合わせて各種着物を提供し知名度をあげる、そこで賓客扱い、隣りには日本の歌産業の事を知らない人畜無害な男が良いだろうとの事でエスコート役に命名されたと言うのが内幕でした、、。

しかしそれ以来ファンになっちまったもんね、、覚えているかな?さゆりちゃん、、、。