”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

此処に眠るブルース・リー

シアトル滞在も残すところ僅か、この3-4日は連日の炎天下で日中の体感温度は40度近いのでは、、、しかも夜になっても一向に気温が下がらずこりゃ日本の熱帯夜だ。そこへ持ってきてシアトルの一般的な宿泊施設には冷房施設がない。そりゃ大手ホテルならいざ知らずバケーションハウスと呼ばれるウィークリーマンションにはそんなものはありゃしない、、猛烈な音を出す床置き扇風機はあってもこれじゃまるでドライヤー状態ですっかり寝不足だ。
 
まあ夜は8時過ぎまでカンカン照りなので自然と夜メシも遅くなりがち、そこでメシ前にと地図を調べたら何と滞在中の宿泊施設から僅か5分のところにレイク・ビューと言う墓地があるじゃないか、、。そこで早速そのお墓へ、そこにはかのブルース・リーと息子のブランドンが眠っている。親父は40年生まれで香港、ハリウッドを股にかけ大活躍したアクション俳優だが73年に僅か32歳で亡くなっている。色々諸説はあるそうだが公式見解では脳浮腫とか、、その彼の一人息子がブランドン、そしてその彼は94年に映画の撮影中の事故で僅か28歳の生涯を閉じている。何と父親の年齢にも達せずに逝ってしまうとは、、、そのままオヤジさんを継承していればさぞや今頃は良いアクションスターとしてその地位を築いていたのではないかと思うと誠に残念だ。
 
この二人が眠るお墓である。案内板も何も出ていなくてしばし迷ったがそこは流石、、遠くからでも参拝者がいるのが見てとれる。こんな日没間際にお参りに来ているのは、、とそこを目指して行ってみると案の定、やはりそこがそうだった。
 
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これは彼らのお墓を裏側から景色の良い方を向いて撮ったもので遠くには湾が広がりまさに絶景だ。
 
しばし佇んで二人の冥福を祈り見回してみると彼らのお墓は小さいもので目立たないがその周りには大きくて家名を明記し夫々に12個も別々の墓標が並ぶものや5mもある巨大なモニュメント風のものがありこれはシアトルでも大変に歴史の古い由緒ある墓地である事に気付かされた。小高い丘になっていて遠くに湾が見え、そう香港のビクトリアピークにも通じるような雰囲気の場所であった。
 
考えてみるとこれまで人気絶頂で亡くなった俳優、さあこれからって言う人、惜しまれて、、と大勢の俳優さんがいるがブルース・リーの場合、絶大なる人気が出た時にはもうこの世にいなかったと言う稀な人生であった。息子に至っては撮影中の事故、それも実弾入りの銃で撃たれると言う不慮の死を遂げてしまった。何か言葉では言い表せない因果関係でもあるのだろうか。後年ジェーソン・スコット・リーがブルース・リーを演じた伝記もので「ドラゴン・ブルース・リー物語」(93年)と言うのがあったがあれはかなり事実に近いものだったと想像する。
 
今回のこのシアトル旅行、映画関係では「めぐり逢えれば」の現場も遠目からだが見たし、スペースニードルにも行った、ブルース・リーのお墓にも行けたし封切り初日の「エクスペンダブル」まで見たので大満足の一週間でした。そして最後の晩餐はこれっ↓、、ステーキディナーだがこの量ですよ。前菜に付いてくるサラダとパンだけでもう満腹、、しかも判っていたのでこのステーキだって半分の量を頼んだんだが、、それでも優に300gはあったな、しかもこのポテトは半端じゃない、人間のこぶし大です。参ったな、、これを通常食べているアメリカ人には絶対にかなわない、、ゴメンナサイ。
 
イメージ 3これが前菜サラダ、、、、。
 
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メインのステーキ4人分ですがこのブロッコリとイモの大きさ、、これで値段が30ドル弱、、。この滞在中、ベトナム料理に始まってスペイン、メキシコ、ホットドッグにハンバーガー、ドイツ、イタリアン、広東料理そして回転すし、濃厚フランス料理も平らげたし今晩は遂にこのステーキで最後の晩餐、いや、すさまじい、、現役時代でもこんなに各国料理を手当たり次第に食べた事はなかったような、、。せめての救いは何処へ行くのも運転してますからお酒は控えめ、毎回決められた規定量内(法律で)、決してガンガンと言うことはありませんでした。それが心残りと言えば心残りですが、、。