”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

バーニー・シュワルズ逝く、

生まれはNYブロンクスハンガリーからの移民の子として生まれ貧困な家庭でロクに学校へも行かずの少年期だった、、。1925年6月生まれなので今年85歳、42年には貧困から逃れ海兵隊へ、3年後に除隊してから舞台に立つようになる。その後、演劇学校経由、NYでオーデションを受けセルズニックに認められやっと49年に映画デビュー、共演はバート・ランカスターでその当人はアンソニー・カーチス。
 
イメージ 1既にデビュー時当時は24歳と遅咲きだったが50年代になって芸名をトニー・カーチスに、それからは”活劇”で活躍、シリアスな役柄では何回となくバート・ランカスターと共演、”成功の甘き香り”(57年)では一躍脚光を、更には”手錠のままの脱獄”(58年)でシドニー・ポワチエと共演、オスカーにもノミネートされる。リアルタイムで見初めたのはどうもこの頃ではないかと記憶しているが続く60年代の主演作は全部映画館で、、。
 
59年の”お熱いのがお好き”では女装のバンドマン、この一本が一番印象に残る彼の代表作とされる事が多い。事実後年、ステージプレイとしてアメリカ各地で公演された時はダフネに恋するオスグッド爺役でステージに立っていた、、舞台ではカメオ的存在だったらしいが各地ではスタンディングオベイションだったとか、、これは見たかったな。
 
家内に言わせると”何よあんなニヤけた人”となるのだが”隊長ブーリバ”そして翌年の”40ポンドのトラブル”(62年)、ではすっかりファンになった。確かに女性なら誰にも手を出す、、実生活でも本当にそうだった、らしいがこの”40ポンド、、”で演じたカジノの支配人、マクラスキーは後年自身の就職にも多大な影響を及ぼしてくれた。最初の奥さん、ジャネット・リーに感化され映画業で行くノウハウを叩き込まれたそうだがそれも11年で終焉、それからクリスチーヌ・カウフマンと再婚、更に離婚、結婚を4回も繰り返し子供はジェイミー・リーを始め6人いる。これから映画並みに熾烈な相続争いになるんだろうな、、でも洋画を本当に好きにさせてくれ夢も一杯貰った、、心よりご冥福をお祈りします。
 
オーストラリアのクイーンズランド州、新聞の一面には;
 
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