”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

その昔、ある初夏のニューヨークで、、

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これは自分でも忘れていた映像でした。
 
風邪をひいたお蔭で外へ出る気力も萎え、何気なくガレージの片隅にあったダンボールを始末するかな、、と開けたら出て来ました。
 
多分此処へ越して来た時に運送屋さんがダンボールを積み上げ、その下の方に紛れ込んでいたのではないだろうか、、しかしこんな写真がある事を本人も忘れていたんですから、、このまま見つからなくても全然支障はなかったかな。実にコレは中学校の卒業記念写真なんです。総勢22人、真ん中、担任の先生が確かブラックマンさん、それに悪がきフランシスにカレンにベティーに、、、、名前は殆ど忘れてますね。
 
チャイニーズ系の女の子が一人いましたがアジア人はおっさん一人、イヤ当時は若かった。場所はニューヨーク市内のリバーデールと言うところ、マンハッタン島から少し北へ行ったブロンクス地区です。学校まで徒歩20分以上掛かりましたが遅刻したり休んだりもせずに毎日せっせと通ってました、、この頃もう週末にはニューヨークの地下鉄に乗って市内あちこちの映画館に出没していたのが懐かしいかな。ティファニーに行けば本当に朝めしが食えるらしい、、とか信じてましたし、、午前中に入ると学生99セントでレビューと映画、両方が見れるラジオ・シティーもありました。映画館の上映時間を事前に調べ、さて最初にA館、それから徒歩で移動してB館へ、最期は帰り道にあるC館かな、、、、何てやっていたのが昨日のようです。
 
初めて一人で入ったレストランでは事前にナニをどうやって頼むのかを調べていたにもかかわらずハンバーガーに添えたフレンチ・フライが3人前も出て来てビックリ、、”こんなに頼んでないよ~”何てセリフは覚えてなかったのでそのまま無理して食べましたっけ、、帰り際にはチップもちゃんと払った記憶があるものの先方には”良く食うガキだな、、”くらいに思われたでしょう。
 
東京から転入しこの中学で3年最期の一年を終えてから今度はずっと北部、カナダとの国境近くにあるプラッツバーグと言う街で今度は寄宿舎生活、そこで高校の3年間を過ごした訳です。この時代は映画”アメリカン・グラフィティー”とそっくりそのままでした、、、実は”イージー・ライダー”に憧れたんですが高校時代は野球(途中で又もや挫折)とライフル射撃に明け暮れ、週末は近くの街へ繰り出して映画三昧、、そんな高校生活でした。
 
そんな良き時代でしたがもし仮にそのままニューヨークに定住してしまい日本へ帰らなかったら一体どうなっていただろうか、、?と考えるとあっ、ヤバ、風邪がぶり返してきそうだ、、。