”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

夜のストレンジャー、、

♪♪デュビデュビデュー、~、っで始まるこの曲、かの”ゴッドファーザー”に助演男優で出してくれろ、、とドン・コルリオーネに泣きついたジョニー・フォンテーンが歌っていた名曲だ。ああ、それは映画の中でのお話、現実にはそれがフランク・シナトラ親分である。

大ヒットしたのは66年の夏、場所はニューヨーク、まさにリアルタイムで聞いていた。当時はマンハッタンからバスで北上する事6時間、ちっこいプラッツバーグと言う田舎町の寄宿舎にいたのだが長い夏休みになると生徒はみんな家に帰ってしまい9月までは閉鎖されてしまうのだ。


まさかその間、日本へ帰るわけにもいかず知人を頼ってマンハッタンへ、、そこで当時は一番大きかった日本食レストランでバイトをしていたのだ。社員寮みたいなアパートがあり其処へ転がり込んで食事は毎日キッチンで賄いを、、これには助かった。何せ白米と言っても寄宿舎じゃそんなモンは出ないし、、日本食とは100%縁がなかったのだ。レストランに居れば味噌汁だって飲み放題状態だったので朝昼晩とすっかりお世話になっていた。

仕事の方はテーブルのさげものやお酒のオーダーをテーブルに運ぶとかで直接お客様と接する事はなかったのだが結局、春、夏、冬の長い休みには毎回お世話になる事になった。そしてそのレストランで知り合った同じバイトのキムちゃん、、実に細身でキレイな人だった。恐らく韓国の人として知り合った始めての女性じゃなかろうか?その彼女とマンハッタンの夜の街へ出る度に何処からともなく聞こえて来るのがこの曲だったのです。

今朝fpdさんのブログを見たら、、何とこの名曲が日本のドラマ、”崖っぷちホテル”で主題歌として使われているそうな、、。ナンかボクの淡い思い出に土足であがり込まれた気分じゃん、、(;_;)。

この時、盛況だったこのレストランもその後の火事騒ぎや引越し騒ぎ、後発の他の日本食レストランに追い込まれ敢え無く閉店したと聞いたのは大分年月が経過してからだった、、あの時のキム嬢は一体どうしているのやら、??ちょっと朝から感傷的になっている、、。