”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”今でも感謝している先生はいる?”

これは良くお邪魔している レイ さんのブログで拝見したタイトルです。思わず興味を惹かれてしまったのだがある新聞のアンケート調査だったらしい、、多くの人は”はい”(71%)で”いいえ”(29%)を大きく引き離しているそうな。
 
小学校、中学校、高校、、、それに大学やら専門学校など、印象に強く残っている先生は多いと言うのは判るが果たしてそれが”感謝”となると、どうなんだろう??”金八先生っ!”みたいな先生がいれば感謝もするか?しかし思うに悪ガキであればあるほどに後年、先生に感謝する度合いが高くならないものかな??こう言っちゃ自慢話にしかならないがおっさんはガキの頃から遅刻やずる休みは一切した事がない、、宿題だって忘れた事もないし教室でも騒いだり、担任の先生に面倒をかけさせた事も一切ない。出来は決して良くはなかったのでその方面では大分心配をかけたかもしれないが、、ガキとしてはまったくもって面白みのないヤケにさめてませた少年時代だった、、。小学校は越境入学で電車で30分もかけて通っていたし野球少年だったので学校が終るとすっ飛んで帰り今度は近所の仲間と野球漬けだった、、。
 
そこで”感謝している先生”だが中学時代の校長先生に3年の時、”まあちゃん、こんにちわ”と言う文庫を頂いた事が忘れられない思い出でこの事には今でも感謝している。作者は山本佑義さんと言う方で自身が単身フルブライト留学生としてアメリカに渡りその毎日の孤軍奮闘振りを綴った今で言う”ブログ”本である。それを毎日欠かさず自筆の手紙にしたためて母親へ送るのである。当時の郵便事情故、テレコになり日本の母親に届くのが前後するケースもあるのだが毎日せっせとエンピツで手紙を綴る作者の姿を鮮明に覚えている。
 
その中学の校長先生、そんな内容の本を私に送別の意味を込めてプレゼントしてくれたのである。そしてその本を貰った当人は先の作者、山本佑義さんと同じ境遇に立たされたのである。フルブライドとはほど遠い私費留学ですが、、その中学を卒業せずしてそれから丸4年間、遂に一度も挫折する事なくずっとこの文庫を胸に今度は自分の母親へ毎日せっせと手紙を書く事になったのです。強いてはそんな手紙を毎日書く事を教えてくれた校長先生には今でも感謝しているしこれには本当に慰められた。当時こんなタイムリーな贈り物があっただろうか、、残念ながらその文庫は日本へ帰るまでは手元にあったのだが自宅を出て独立した時期に行方不明になってしまった。
 
もう一人感謝しないといけない先生がいる。それは当時ニューヨークで通っていた学校の先生、規律厳しいカソリック系の学校で先生達は全員が”Brother”、だった。その数学担当の先生、Brother Anthonyが第二の名付け親である。右も左も判らない外国生活、英語だしそりゃもうチンプンカンプン、、でも数学だけは出来た。感覚的には日本で学んでいた事より2年くらい遅れていたのではないだろうか、、、流石にこの科目だけは予習、復習をせずとも100点満点の連続、、、しかし応用問題となると話は別だ、何せ読んでも何がなんだか判らないし、。
 
そんな数学の先生がおっさんの名前が呼べなくて毎回(そんなに難しい名前ではないのだが、、)発音が不明瞭だった、、此方も何を言われているのか判らなかったし、そこで当時クラスに一人も”George”と言う名前の生徒がいなかった事もありその名前を授かったのである。当初は綴りが判らなくて困ったが、、それ以来すっかり此方が定着してしまい今では本名を叫ばれても一瞬誰の事か判らないかも、、それ程に日本語名の馴染みが薄くなってしまった、、、別に親父ゴメン、と言うつもりもないが何せ明治時代の親父が何をどう間違ったのか誠にクラシックな名前をつけちゃってくれて、、今なら多分イジメの対象だよ、きっと。
 
”感謝している先生”と言うとこのお二人に尽きる、、。