”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

初の女性駐日米国大使

我ら還暦世代には何とも思い入れのある女性大使だ、、あのケネディ大統領の長女、車列の傍でジャクリーン夫人に手を取られ健気に振舞っていた。そのお隣にはママに言われてしっかりと敬礼をする弟のJrがいたっけ、。
 
父のJFKが暗殺されたのが1963年11月22日、もうすぐ50年になる。その約一ヶ月前の10月13日に単身ニューヨークに着きモノクロのテレビ画面から流れて来るニュース、、何が何だかさっぱり理解出来なかったが下宿先のおばちゃんが泣き崩れていたのを思い出す。そんな自身の一大出来事が重なるのでこの青天霹靂な事件は忘れようにも忘れられない。そう言えば学校へ行くと”ビートルズ”とか言う名前の4人組バンドの事や音楽で盛り上がっていたのもこの頃だ。
 
あの幼かったキャロライン嬢がこうしてアメリカ大使として日本へ着任、あのアメリカ大使館裏にある官邸の住人となる。その官邸、初めて足を踏み入れたのはホジソン大使の後任として就任したマンスフィールド大使(77-88年)へバースデイ・ケーキをお届けした時だ。着任されたのが同年6月だったので多分その頃か、、イヤ待てよ83年以降だったかな??そうだ書いている間に思い出した、あれは83年7月に転勤辞令が出て東京本社へ戻ったのでその頃に間違いない、。当然新大使が着任される毎に内装や装飾も変わるのが常だが最近ではどうなっているのやら、、先のマンスフィールド大使の頃は大変質素な作りで板張りの壁にフローリング、、それに要所要所にカーペットが敷いてあり雰囲気は何処か南洋の島的なものだったのを覚えている。ホワイトハウスに似せているのか外壁は白色に定期的に塗り直されていて広大な芝生が続く、、車寄せも砂利道仕様だが広くてとても都心の真ん中とは思えない別世界だった記憶がある。
 
そのケネディ新大使、ワシントンでの政治活動には縁がなくその政治手腕は未知数との事だが過去3年の間に失墜した日本、米国の関係改善に尽くして欲しい。