”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ケヴィン・コスナーのベスト・スリー

本名はケヴィン・マイケル・コスナー、、Kevin Michael Kostnerと書くのだが何故かその昔、映画雑誌の”スクリーン”などではケルヴィン・コストナーとされていた、、不思議だった。今でもその”Michael”を”マイクル”としつこく表示する訳者先生もいるんだな、、。

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そのケヴィン・コスナーカリフォルニア州で55年に生まれているのでもう還暦を過ぎちまった。映画界で引っ張りだこだった時期は80年代から2000年始めの頃、イヤ、今はもっぱら引退した専門職やお爺ちゃん役が多くなっているのだが元気で活躍している。昨晩もう何回目になるか”ラブ・オブ・ザ・ゲーム”(99年)を見たのだが劇中40代になり現役を退くかどうするかと言うデトロイト・タイガーズの架空の投手を演じて野球人生最後にパーフェクト・ゲームを達成してしまうのだ。

映画デビューは81年の”黒の殺人リスト”だったようだが翌82年の”ドリーム・リーグ”やその後に続いた6~7本は日本未公開、85年の”シルバラード”で演じたチンピラ・カウボーイ役が本格的な本邦デビュー作かも知れない。

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その後87年には”アンタッチャブル”でエリオット・ネスを演じ、これが大当たり。ブライアン・デ・パルマ監督には絶対に足を向けて寝れない程に映画も名作だし彼の個性が一段と輝いた出世作となった。その後立て続けに野球選手役、”さよならゲーム”(88年)、”フィールド・オブ・ドリームス”(89年)とあって90年の”ダンス・ウィズ・ウルブス”では監督業にも進出、見事にオスカーでは監督賞を始め作品賞を含む7部門を制覇してしまった。

91年には”ロビン・フッド”を演じ同年、オリバー・ストーン監督で”JFK"に主演、ケネディ大統領暗殺事件に深く関わっていく地方検事を熱演した。そして92年には”ボディーガード”でウィットニー・ヒューストンと共演、これが又、大ヒット代表作となってしまった。

その後も”パーフェクト”や”ウォーター”ワールドの世界で主演、話題作のオンパレード、、”ティン・カップ”(96年)では落ちぶれたプロ・ゴルファーを演じ再度西部劇のヒーロー、ワイアット・アープも演じている。そして99年にはもう一度現役を引退するかどうするかで苦悩するプロ野球選手を演じ05年の”ママが泣いた日”では今度は引退したプロ野球選手、、この時、彼のバックには99年に演じたタイガースの選手時代のユニフォーム姿があった。

一番新しいところでは”ドラフト・デイ”(14年)、これはアメリカン・フットボール界の内幕を描いた映画でドラフトの駆け引きを題材にしているが野球界を描いたブラッド・ピット主演の”マネーボール”にも一歩も譲らない好きな一作だ。

あああ~、前置きが長くなった、では独断と偏見でワタシが選んだケビン・コスナー、ベスト・スリーを、、;

”ダンス・ウィズ・ウルブス”、、これは映画の出来からしても外せないちょっと長いのが難点だったがインディアンに染まり、彼らの生き様を継承して生きていく若き騎兵隊員、素晴らしい映画だった。

ボディガード”、、やはりこれは外せない。ウィットニー・ヒューストンに負うところ多いがあのフランク・ファーマー役、そして主題歌は忘れられない一作ではないだろぅか。

アンタッチャブル”、、監督の技量と言うかエリオット・ネスの活躍を見事に描いた秀作だ。”荒野の七人”じゃないがエリオットを中心に夫々の専門職からチームを立ち上げ宿敵、アル・カポネに向かっていく映画は随所に後世になって語り継がれる名シーンが満載、まあそれも古い名作から蘇った箇所があるのだが、この映画は絶対に外せないぞ、。

ベスト・スリーだなんて書かなきゃ良かった、ベスト・テンに書き換えようかな?

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