クエンティン・タランティーノ監督、脚本の犯罪映画。主演はパム・グリアー、、常連のサミュエル・ジャクソンにロバート・デ・ニーロからブリジット・フォンダ、マイケル・キートン、クリス・タッカーと豪華な配役だ。映画館で見て流石タラちゃんだな、、と思った記憶があるし彼の作品では一番好きな映画かも知れない、、。
脚本はタランティーノだがベースなった小説は”ラム・パンチ”と言うエルモア・レナードが書いたもので映像化に関しては彼独特の犯罪世界が描かれている。ジャッキー・ブラウン(パム・グリアー)はメキシコとロス・アンジェルスを行ったり来たりする航空会社のCAだ、44歳の設定で貯金もなく金欠病生活。武器やドラッグの密売でしこたま現金を溜め込んでいるオデール(S.ジャクソン)の為に現金の運び屋をやっているのだがある日、現金運搬中にロス警察の刑事レイ(M・キートン)に逮捕されてしまう。

全編英語のオリジナル版を見ているのだが何処にも”まとも”なセリフは出て来ない。二言目にはスラングに卑猥な単語、それに罵倒語の連発、日本語にはこんな性的な表現を使うスラングは無いので吹き替えとか字幕では果たしてどんな表現になっているのやら、、。”こんちくしょう”とか”バカ野郎”だけじゃどうにも済まない凄まじいセリフ回しにはビックリする以前にもう呆れちまう、、。自分の事だが我ら中学高校でもこんな凄まじい言葉は使っていなかった、、無論時代は違うし環境も厳格なカソリック校だったので言葉使いには厳しい規律があった事もあるのだが、。
映画はそんなジャッキーが捜査協力する事で進んで行くのだがジャッキーだって伊達に危険を承知でオデールの言いなりになって来た訳じゃない、、そして大芝居を打つことに、。
この終盤の30分にタラちゃん手法が冴えわたる。ジャッキーを中心に登場人物が夫々の立場からこの”犯罪”の中心人物として立ち回る。これはその昔、邦画の名作、黒沢監督が”羅生門”と言う映画で使った手法だが分刻みで場面が進行するなか違うカメラアングルから違う観点で現場を追う、、こんな犯罪映画では非常に有効な手法だし夫々の役割がとても良く判る。
ジャッキーの最後の一芝居はさてどうなるやら、、刑事だって納得させなきゃムショ暮らしになるしそのままオデールを裏切ってしまえば今度はムショどころか自分が生きていくのも困難だ。そんなジャッキーをつい応援したくなるような、、実に意表を突く映画ではありました。

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