”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ブリスベン近況

もうこの地、ブリスベンには結構長いことお世話になっている。平成元年から最初の4年近くは単身赴任を強いられ家族を呼び寄せたのが平成4年、、って事はもう20年を優に越している。本音はこんなに長居をする予定じゃなかった、、まあ精々5年くらいで次には南の島か、東南アジア諸国へ渡る予定でいたのだが運悪く、バブル期が終焉を迎え、”日本丸”沈没、そして”タイタニック”のジャック・ドーソンじゃないが流れる救助船に登れずそのまんまオーストラリア大陸を漂流してしまった結果、今も此処に漂っている。

自分じゃかなりな慎重派を自認していたし普段は”石橋を叩いても渡らない”性格なんだがこの時ばかりは叩き過ぎてその橋全体が崩れ落ちてしまった、、そんな印象だ。それにしても住めば都、すっかりこの準亜熱帯地方の小都市が拠点になってしまった。オーストラリアではシドニーメルボルンに次ぐ三番目の都会で人口は150万、生活基盤は日本の仙台、札幌、福岡などの都市にかなり近い。無論日本より市の有効面積は断然広く人口密度に関しては日本とは大分違うのだが、、。

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市の真ん中をくねくねと流れるブリスベン河、”City"と呼ばれる官庁街、繁華街は僅か3km四方の狭い場所に集約されていて縦の通りが男性名、そして横の通りが女性名で表記されておりこの河を中心に発展したそうな、、。そしてこのブリスベン河を行き来するのがこの”シティ・キャット”(猫のキャットじゃなくて双胴船のカタマラン)と呼ばれる高速渡し舟である。

向こう岸、こっち側とジグザグに行き来し朝晩は通勤客に、日中は観光客に利用され大繁盛だ。この街には地下鉄がないので路線バス、そして市と郊外を繋ぐ鉄道路線、それにこのシティ・キャットだけが頼り、幾ら公共の乗り物へ利用者を誘導しようと州政府の掛け声が大きくてもやはりマイカーがないと不便至極、そもそも鉄道を利用するにもその駅までどうやって行くんだ、、って事になり通勤時の渋滞は年々酷くなる。それに僅か3km四方の狭い”City"へ通う通勤客は限られている。その市内を経由して更に南下、北上するのでクルマは必需品だ。

25年前は”渋滞”などと言う単語もなかったし空港だってターミナルの外が駐車場だった、それもコインを入れるパーキング・メーターで何時行ってもガラガラだったのが今じゃ最低30分10ドル、、立体駐車場をグルグル回ってそれでもなかなか駐車場所が見つからない、、誠に不便な都会になっちまった。

そして現在は大都会へ”変貌”を遂げるつもりなんだか市内のあっちこっちには大型クレーンが林立、再開発の真っ只中だ。こんなに沢山高層ビルを建てて一体誰が住むんじゃろう、、と横目で見ながら通り過ぎるのだがそりゃもう凄まじい。チャイニーズ・マネーを頼りにしている感じもしないではないのだが賃貸物件だって週単位で400ドルを越す物件が常識とか、、それって80円で換算しても最低13万円以上の家賃にならないかい??

そう言えば88年だったかにブリスベンでは”万博”が開催され日本からも大挙して観光客が押しかけたそうな。立派な日本館に大きな和風庭園も併設された。その庭園だけは現在も郊外のマウント・クーサと言う場所に移されオージーたちに好評とかだがこのブリスベン河に面した万博の会場跡地は再開発され大きな観覧車が回っている。

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この万博をきっかけに日本でも知名度が急上昇、南に100km離れたゴールドコーストと共に日本からの移住/観光の人気スポットになったと聞いた。実際知人、友人でもこの時期にブリスベンを目指して来られた邦人移住者はかなり多い。領事館の在留届台帳にも双方合わせて5000人からの届けがあると聞く。

そりゃ夏場はメッチャ暑くなるが総体的には気候的な事では文句は一切ない。でもやはり加齢と共に辛くなって来るのが食事だ、、医療関係では余り深刻なケースでお世話になることもなく済んでいるのが幸いだが、。季節の食べ物、新鮮なお魚、、手軽に買える食材各種、、これだけはブリスベンじゃどうにもならない。

今日も映画館が空振りでして、こんな近況になってしまった、DVDで日本のドラマでも見ようかな?

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