”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ノー・ウォーリーで生涯現役 ??

一般的に(日本と比較して)オージー達は国民性もあるが全てに寛容だ。ラテン系の”アスタマニアーナ”風習まではいかないが”ノー・ウォーリー”(No Worries=心配ないよ)が常套句になっている。

イメージ 1例えば、、水道管業者が水漏れを発見した場合、それがかなり深刻な事態になっていてもこの”No Worry"にやられちまう。そりゃ”任せときな”と非常に心強いお言葉でもあるのだが修理に失敗して取り返しがつかなくなっている場合にもこれをやられると、、こっちはムカッと来るのも事実だ。さしづめ日本なら工事中に水道管を折ってしまった場合、”ああ~、やっちまったよ。スイマセン直ぐに修理しますから、”、そして業者はひたすら謝って誠意を見せようとする、、同じような状況でオージーが”ノー・ウォーリー”何て言いだしたらこっちは怒るぜ。まあ上場企業の社長さんが深々と2分も頭を下げてごめんなさい、、と言っているのにオージーが会見の場で”ノー・ウォーリーズ”何て言葉を返したらそれはそれで問題だが、、。

そんなオージー気質、根底にあるのは余り失敗を引きずらない国民性にもあるのだが何と言っても種々雑多の寄せ集め国家、でも英連邦に属するのでやはりイギリス、ニュージーランドからの移住者が一番多い、そして近年は中国、インドで全体の4%を越す勢いらしいなかでの自己主張ではなかろうか、、一見”ノー・ウォーリー”は真逆になるようだがこのフレーズで相手の様子を見る、まあそんなに奥が深いもんじゃなくて単なる口グセなんだろうが、、。

そんな”ノー・ウォーリー”国家、何と40代で現役を引退、悠々自適な生活を目指す輩もいるのだが先日、テレビの特集で”生涯現役”を貫く人たちが年々かなりの数で増加していると取り上げられていた。日本のように企業にずっと末永く雇用されるサラリーマン制度なんてものは所詮ないのだが60代、70代、、そして80代に突入しても勤労意欲を無くさず身体の許す限り働き続けるって事らしい。

これにはボランティア活動も含まれるのだが現役時代にやっていた事の延長戦、銀行勤めだったら今度は独自にファイナンシャル・プランナーへ、、弁護士だったら今度は得意の分野で人助け、小売業だったら今度はフルタイムからハーフタイムへ移行、、不動産屋なら取り扱い件数を減らし特殊な分野で手腕を振るう、、とか。実は管理人業でも継続出来る手法があった、、それは法的にはかなり制約されるらしいが法人化して居住場所は外部へ、そして勤務時間は営業時間をちゃんと提示して減らすとか、、そして外周りは外注で業者へ委託、、まあそれは一部実施中だが、それなら腰痛になって休もうがちょっくら京都へ行ったり孫に会いに行こうが自在だ。

日本の場合、定年後の再雇用で周りに老害を書き散らしたりメールもダメでデジタル機能に対応も出来ず若い上司に楯突いたり”今時の若者は、、”等と説教垂れるのだけは誰からも受け入れて貰えないようだが、それに以前の”お仕事は?”と聞かれ”部長でした”何てのはまったくもって論外らしい、、。

肝心な事は、こうして仕事を継続する事によってちょっとは余裕が出るであろうし年金オンリーでビクビクする必要もない、更には健康寿命を出来る限り伸ばすと言う思惑があるのだ。日本とは比較にならないがオーストラリアとて団塊の世代層は厚い、彼らが社会に貢献し元気で暮らす強いては州政府の出費もセーブ出来る。それだって限界はあると思うが少なくとも思考能力がしっかり備わっていて自由に身動きが出来るうちは”生涯現役”ってのはあり得るかも知れない。

住人の苦情や新規募集のテナントやらあっちこっちの修理やら下請け業者とのやり取り、これは知らずにかなりのストレスになっている。そんな環境を改善しもう全部辞めたい~、、って気持ちは大いにあるのだが今度はストレスがなくなって朝から今日はどうしよう??、ナニをしよう??そんなサンデー毎日が続くと今度は別の種類のストレスに直面するような気もしないではないのだ。

先のテレビ番組では84歳のおばあちゃんがせっせと下請け業者として編み物を、、91歳になると言うおじいちゃんは広大な農場を運営、皆さん実にお元気で自身の生活を語っておられた。そうなるとやはり生活に張りがあるし”これをやらないといかん、”、と言う使命感みたいなものが見えるのだ。日本だってそうやって何時までも現役で働いておられるシニアは山ほどいるんだし家庭内での粗大ゴミ化は避けられそうだ。それに弁当を持って最寄りの公園とか図書館へ通うなんて事もなかろう、、趣味のないワタシみたいなジイさんにはずっと現役でいるのが一番なのかも知れない?