”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

大倉山からオークラへ


今日の札幌は思いがけない晴天で気温も昼には14度前後、レンタカーはもうすぐ返すし雪の心配のないうちに創設者に敬意を表して行ってみよう、。と大倉山スキージャンプ台へ出掛けてみた。

イメージ 1
これはもう簡単に写真で表現出来るような施設ではなかった。素晴らしい景観の競技場で72年に冬のオリンピックで”日の丸飛行隊”が大活躍した事が思い出される、。

スロープの向こう側にはスキーリフトが常設されている。これに乗るには別途料金が掛かるのだがとてもジイさんにはこれ以上高い場所へは行く根性はない、、なので恐らく課外授業で来たんだろう約40人の小学生が昇って行くのを眺めるだけだ。

この着地台がある場所にはレストランとか土産物店、それにオリンピック・ミュージアムなどもあるが此処へ来るまでには、、

イメージ 2札幌市内から約20分程度、宮の森から丸山動物園を経由して高級住宅街を通りかなり山中を車で登ったあとにやっと広い駐車場へ、そしてこんな長いエスカレーターを乗り継いで行かないとたどり着かない。

恐らくこれも100m以上はある長距離で円形ガラス壁から外を見ていると札幌の市内が目の下に広がって行く。この施設全体が大倉山競技場と呼ばれ31年に大倉喜七郎が私財を投じて建設したもので、父、大倉喜八郎の事業を継承したものだが彼はその後、東京のホテル・オークラ建設にも多大な功績を残している。

何と言っても22歳から約20年間、自身の貴重な青春を捧げたホテルなので他人事ではない、、彼の意志を継いでホテル建設、そして晩年は名誉会長として喜七郎の思いを実現したのが野田岩次郎で私の入社当時は既に70歳を超えていたのだが何度となく直に叱咤激励されたものだ、。

イメージ 3これが展示室の入り口に掲載されていたこの施設の概要だ。遠くノルウェイから専門家を招聘し建設しその全てが札幌市へ寄贈されたらしい、、。何処かの御仁のようにネコババして私欲を肥やし白を切るってのとは雲泥の差じゃなかろうか?

この数日の気候で雪はすっかり溶けてしまって人工芝が剥き出しだったが選手達はこの着地点から更に何百メートルのスタート台へ登って行く、、そして斜面を猛スピードで滑走し100mからの距離を飛ぶ訳だ、、他の競技と比べりゃ時間は短いかも知れないがこりゃもう見る側もスリル満点の競技ではなかろうか?今度競技を見る時はこの大倉山ジャンプ台を思い出すだろう。


イメージ 4これはその展望台から見下ろした札幌市内の風景、選手たちは恐らくこの市内へ向かって飛んで行く、そんな気分になるんじゃないのかな?こうして見ると高層ビルが数本立ち並びかなり広範囲に街が広がっているのが判る。

札幌で初めて乗ったタクシーのおっちゃんが”山並みが広がっているのが西だべ~、”と教えてくれた。なのでこれは西側からの風景って事になる。雪が降ったらもうとてもこんな高いところまでは登ってこれまい、、これが今季最後の大倉山か?実は市内の便利な箇所にオークラ、、此方はホテルがある。80年にアルファ・サッポロとして開業したものだが後年、03年にホテル名が変わり現在も営業中だ。まだ行く機会はないのだがそのうち訪ねてみよう、、。