”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

愛しのエリー


2002年2月14日生まれとオーストラリアで初めて診て貰った獣医さんの”猫籍”に記録されている。実際には我が家へやって来たのが5月の末、獣医さん曰く”生後3ヶ月くらいかな?”と言われたので引取った日から3ヵ月逆算して誕生日にしたような、。

そして2019年までの17年間、歴代唯一のメス猫として我が家ではお姫様扱いされて来た。カーペットで爪を研ごうが、ソファを傷だらけにしようが安楽椅子の内張りをボロボロにしようが一切叱る事もなくやり放題のお転婆ぶりだった。日本へ来る前の9年間はもう勝手気まま、気の向くまま、、外の芝生をハゲちょびにしても敷地内の巡回見回りに帯同して来ても他所様の前庭でおしっこをしようがヤシの木に登ろうが好き勝手だった。

昨年10月には念入りな身体検査を受け、腎臓機能障害も一週間の入院治療でちゃんと克服し獣医さんからも税関からもお墨付きを、そして遥々国際線に乗って成田で乗り継ぎ札幌の千歳までやって来たのだ。そして僅か9ヶ月後に逝ってしまった。

17年と言う事はものの本によると”超高齢期”と判別され人間なら84歳くらいにあたるようだ、。昨今それだったらまだ若い、、とも思うのだが天寿を全うしたと思っている。

6月の初旬、孫①②が帰った後だがちょっと食欲がなく、押し入れの隅に入りじっとしている時間が増えた。早速、知人から紹介を受けていた獣医さんへ駆け付けレントゲンを撮ったり麻酔で眠らせ口内の写真撮影、更には組織を取り病理検査にも回して貰った。幸い悪性なものではないと判断されたが右奥歯が顎に繋がった部位なので徐々に食事がし難くなりこの6週間ばかりは3日毎に点滴治療を受けていた。

この期間自身の口からエサを食べれる状態ではなく、液体状のおやつ形式のものやスポイトに吸わせた”離乳食”みたいなものまで与えていたのだがやはりそれだけじゃ体力維持には繋がらず完全に骨と皮状態に、、、本人には食べる意思があるものの水をペロペロやるのが精一杯で満足に食べられなかった。

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    2002年2月14日~2019年7月19日午後2時30分永眠

これは今年の3月頃だったか、、まだ元気で札幌の日に当たりお気に入りのムートンで寛いでいた頃だ。エリー、良く頑張ったね、お腹いっぱい食べたかったんだろうなぁ~、、。長い間本当にありがとう。最後は小さな声で”ミャ~、”と一言、その後にワタシと家内の顔を見まわすようにもう一度短く”ミャ、ミャッ”とやったのが最後でそれから昏睡状態に、見ていると尻尾がぴくぴく動いた気がするのだがもう意識が遠のいていたんだろう、。

あっちにはオマエの大好きだった四郎、それにちょっとおっかなかった大兄のブリッキー、ちょっとしかいなかったけどジンジャーにとっても優しかったお兄ちゃん、モノトンもみんないるぞ。

今夜は思いっきり飲んで泣くぞ、。