”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

マイケル・ケインとコックニー訛り

ちと古いものであったが(多分80年代後半に制作)マイケル・ケインのインタビューがTVで放映されこれまで余り知られていなかった素顔に触れる事が出来たのでその概要を;

これまで何処かでイギリスの労働者階級の出身であるとは聞いた事があったが実際には”コックニー訛り”を話す(イライザ嬢と同じ)家庭環境で15歳で既に学校を出て各種日雇いなどの仕事を転々としたような、、そして当時お金に困っている若者の常道で英国陸軍へ志願して入隊、紛争勃発の韓国へ、そこでは実戦にも加わり帰還後除隊。それから劇場に職を見つけアシスタントステージマネージャーとして演劇の世界に入ったそうな。

それからも下積み生活は長くタイトルロールに名前の出ない端役出演が56年くらいから続く、64年制作の”ズールー戦争”ではコックニー訛りを喋る士官として初の大役に抜擢、スタンリー・ベーカー共演で高評価を受ける。その翌年31歳にしてハリー・パーマー役で一躍脚光を浴び、(007とは違って実直なメガネのスパイ役)その後の活躍は周知の如く。

そのインタビューのなかで感銘を受けたのは72年の出演作”探偵”での事。競演はかのサー・ローレンス・オリビエ、当時イギリスはもとよりハリウッドも含め演劇、映画界きっての実力派、この人を志す俳優さんがいないほど存在感の高い人であったが共演する嬉しさと緊張のなかで思うように演じる事が出来ずいよいよ最後の山場の撮影に入った。階段下で上から見下ろすオリビエに”今では貴方の奥さんはオレの事を愛しているんだ、、”と涙ながらに訴える場面、やっとテイクを終え一段落したところへオリビエが現れ、彼に向かって”最初はオレの映画に良きアシスタントが来たと思ったが、良きパートナーにめぐり会えた、、”と言ってくれそれがこれまでの俳優生活で一番嬉しい賛辞であったとまさに涙ぐむように答えていた事である。

又、終了間際にインタビュワーが何故今も”コックニー訛りなのですか、、?”と問うと”労働者階級出身でも成せば成る、強い意志があれば誰でも成功する事は可能なんだ、今コックニー訛りで喋ってる彼らにも希望を持って貰いたい、、”とこれ又、泣かせる締めくくりであった。

そこでおっさんの独り言、最近洋画を見るのに字幕派か吹き替え派かと聞くのだがマイケルやショーン・コネリーが中国語や韓国語を喋っていたらガックリしません、、?同じように英語圏の人が彼らが日本語を喋ってるのを聞くと愕然とするんではなかろうか。そんな事より自分が理解する為には、と言うのが本音なのだがそうなるとおっさんも英語以外の映画は見る訳にはいかなくなります。でもその場合、字幕が映画だったりすれば英語のセリフを聞き取るよりも理解度が深まるのでそれの方が好都合。要はその昔、洋画を見るのは英語の勉強に行くんだ、、と親に言い訳していたように現代でもそれを実践し大いに勉強に励んで欲しい、今やストーリーは仔細にネット検索、指一本で判るのだし何ならセリフをプリントする事も可能である。

余りに安直に聞き流すようにTVでCMだらけのチョん切れた映画を眺めるよりもっと真剣に見る、その価値のある映画を見出すのもファンの楽しみだと考えるしそうすれば先のコックニー訛りの何たるかも判かり映画鑑賞の奥意も深まると思うのであるが、、、如何?