”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

映画に出て来るヘンテコな日本

その昔からこの手の摩訶不思議な画像は山盛りあるのだが最近知恵袋を見ていてその許容範囲には世代の違いがあるって事を感じた。一番多くある信じられない映像はセリフの可笑しさ、主役が喋った変なイントネーションくらいなら許せるがマッタクもって訳の判らんのは困るより恥ずかしい。

ライジング・サン”のショーン・コネリーとウエスリー・スナイプスが”センパイ“、”コウハイ“何て互いに言い合うのは許せちゃうが日本人社員のはずの野郎がヘンテコな日本語を使うと瞬時に引ける、、。ハービー・カイテルの警部が”エディー・サカムラ“をもじってSuck it to me!と言ってたっけ。 ”ダイ・ハード“、ナカトミビルのタカギ社長さんは流石筋金入りのジェームス・繁田さんだけあってそりゃスーツもセリフもしっかりしていた。

仕草や表記の違い、こりゃもう間違いの部類だが中国語か日本語か首を傾げるケースもある。60年代は日本人像として眼鏡、カメラそして出っ歯が典型的な象徴でまさに“ティファニーで朝食を”のミッキー・ルーニー、これがヘンテコな東洋人が演じたのであればガックリだが彼が演じた事でそうかアメリカ人にはそう見えるものなんだと妙に納得、今の若い世代ではまさしくふざけた日本人像と映るようだ。

日本人にも意外だと思わせる場面。それは賛否あるだろうが“ブラック・レイン”の大阪の町並み及びクライマックスシーン、あれは確かに日本ではないかも知れないがアメリカ人監督の感性を描写した素晴らしい場面だったと思う。若い世代にはあの工場へ向かう自転車がどうも中国みたいだ、、とか暴走族が派手な登りを立てて走りまくるのは日本じゃないと言われるがあれはあれでそれなりの画像作りであっておっさんに言わせればもっともっとへんな日本があるのにあれなんか完全にOKの世界である。

同じように戦争映画、これは史実なのではやり余り凝った作りにされるとシラケル、、“パール・ハーバー”の海軍参謀の会議の場面、野外でしかも色々な中国語としても通用する漢字のノボリが乱立しているのには参ったな。ああなるともうウソっぽくて映画自体に拒絶反応を起こしてしまう。

おっさんの世代として許せないのはやはり脇役陣がそれなりのしっかりした日本人がつとめているのに主役が他所の国の女優さん、、“サユリ”は折角の良い原作を長い年月を経て映画化したのに何でチャン・ツイイーがやるんだろう、、それだけ日本人で海外に通用する人材が居なかったとは制作者側の言い訳だが瞬時にしてスターダムにのし上がる可能性があったのに残念でならない。“ラスト・サムライ”も同様にありゃどう見ても日本じゃないし、天皇があんな風じゃ、、と思うがこれもやはり許容範囲として見過ごせる。

その昔、かのマーロン・ブランド日系人を演じセロテープで目じりをとめたのがその後清水アキラに継承されたんじゃなかろうかと思う京マチコ共演の映画、あれを見た日にゃもうそんじょそこらのちょっとくらいヘンテコな日本を見ても驚かないぜ。

“ヤクザ”、これはロバート・ミッチャム高倉健共演だが日本に住んでいる娘が何と片言の日本語、インターナショナルに通っているとの説明はあったが釈然としなかった。
キルビル”、これはもう原作が漫画状態なのでコメントなし、あれは日本ではなく架空の世界として解釈する。
“コンタクト”、北海道らしいが着ているものや家屋の背景、家具は、、、何処だろう?
“007は二度死ぬ”、折角日本でロケもして丹波哲郎さん以下配役陣にも恵まれたのだが、、当時はそうでもなかったが今見ると200GT以外のシーンは目を覆いたくなる。何で何処にでも関取が出て来るんだ?

最近のものでも沢山あるし”もってのほか許せない!”もあるような、、。これが例えばイタリアやフランスを舞台にしたものの場合はどうなんであろう?戦争映画でドイツ兵が喋るドイツ語や米兵が真似たセリフだって多分ヘンなものが多いのではないだろうか。

マイナス思考ばかりじゃしょうがないので”これなら許せる、いやーそんな場面があるんだ”、みたいな日本人以上に感性があってマッタク恥ずかしくない日本描写を今度は探してみたい。

とまあこの辺りが知恵袋で回答が寄せられたヘンテコな日本でした。