”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ヒッチ爺VSアンソニー爺=”ヒッチコック”

イメージ 1左はアルフレッド・ヒッチコック、右は新作”ヒッチコック”(12年)で主演を演じるアンソニー・ホプキンズです。
 
まあ雰囲気はメイクや太らせた衣装、髪型でかなり似せる事が出来る、、では果たしてどんな声、喋り方なのか、、まあお二人ともイギリス出身なので”キングス・イングリッシュ”に関しては問題はなかろう、此方では来年早々公開なのだがこれは見たいかな、、。
 
内容は完全なる伝記もの、それもヒッチ爺全盛時の”サイコ”(59年)撮影時に焦点が合っているとか、、彼が”マスター・オブ・サスペンス”と呼ばれ名監督ともてはやされていた時期である。それにこの伝記映画、生涯一奥方だったアルマ・レヴィールに扮するのがヘレン・ミレン、、そして映画ではジャネット・リーが演じた可哀相な女性をスカーレット・ヨハンソン、主演のトニパキを演じるのがジェームス・ダーシーと来れば見ない訳にはいかんぞ、、他にもヴェラ・マイルズジェシカ・ビールが、ペギー・ロバートソンをトニ・コレットが演じている。配役を見ると何とラルフ・マッチオの名前もある、、あの”ミスター・ミヤジ、、”と何回も繰り返していた”ベスト・キッド”オリジナルのダニエルさんです。23歳で大分”老けた”高校生を演じていたがあれからもう30年かぁ、、ナンだするともう50歳か、、どんなになっているのかな、。
 
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奥さまのアルマは同じイギリス出身の脚本家でヒッチ爺にはかなり影響を与えたそうな、、すると彼女の出番も多いのかな、。お二人は1899年、同年で1日違いの誕生日、(8月14,15日)26年に結婚され80年に夫君が亡くなるまで半世紀以上も結婚生活を守られたそうな、、レビューから推察するにはこのお二人の”ラブ・ストーリー”的な要素もあるようだが、、。
 
ヒッチコックは同じイギリスの映画界の重鎮アルバート・ブロッコリ(007のプロデューサー)と親交がありアルバートはかなり心酔していたとか、ヒッチコックの”北北西に進路をとれ”でケリー・グラントがヘリコプターで追われるシーンはそっくりそのまま”ロシアより愛を込めて”でジェームズ・ボンドが追われるシーンに再現されている。
 
映画”サイコ”誕生秘話としての興味は尽きない、。それなりに年輪を重ねた俳優さんはイギリス出身の方が多いのも事実、この二人もこれまで数々の賞を獲っているし彼らが”還暦時代”をどんな風に仕上げているのやら、、我が人生の参考書にしてやろう、。
 
何処でこのブログを見たのかそれとも何となく感じるところがあったのか昨晩突然家内が”アンタならそのまま、ホラあの映画、、、カラテの映画、、以前住んでいた家の前で自転車で通りかかった近所の子供にからかわれたじゃない??”そうなんです、家内の言っているのは邦題”ベスト・キッド”でその映画で空手の達人を演じたパット・モリタさん、、、主役のラルフ君がなかなか”ミスター・ミヤギ”と言えなくて”ミスター・ミヤジ、ミスター・ミヤジ”って言ってました、、あの人です。”空手のシーンは代役が必要ね、、”、、”でももっと薄毛のカツラをかぶればそのまんまOKよ、、”、失礼な、アチラに対してですよ。
 
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 これがその人です、、、、ちっとも似てないじゃん??
← そりゃ同じオリエンタルだけんど、、まあ西洋人が見りゃ皆同じか。
この頃パットさんは52歳、、オレより若い!!初めて来日され東京のホテルでアヴィルドセン監督と一緒に記者会見をしたのです、その設営を任されたのがアッシでしてちょっと思い入れもありました、。アメリカ生まれで日本語は片言、、映画ではいかにも日本語は普通に喋っていましたが、、覚えるのが大変だったそうな、、、好々爺と言う印象で何時も笑顔を絶やさず記者会見では”アホ”な質問にも丁寧に答えていたのが印象的でした。