”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”アンドリューNRD114”(99年)

このところオーストラリアのFOXや民放でもロビン・ウィリアムズの追悼番組として連日彼の主演作が放映されている。初日はやはり”ミセス・ダウト”(93年)、そして”RV"(06年)にこの”バイセンテニアル・マン”(原題はBicentennial Man)200年男と言う意味だが丁度2000年に公開された。まだ追悼番組は当分続くのだが昨晩は途中からこの”アンドリュー”を、、監督はクリス・コロンバスと言ってロビンを主役に数多くの作品を撮っている。
 
イメージ 1始まりの時代は2005年、マーティン家に”家政婦はアンドリュー”として仕える事に。マーティン家ではロボットとしてアンドリューを受け入れる娘たち、それ以上に感情を交えて接してくれる父親とに分かれるのだが時代がどんどん流れ2037、、2053、、、2073と経過していく。勿論仕える人間たちはどんどん老いていくのだがアンドリューは何年経過してもそのままだ、、無論食べる必要もない。
 
そんなアンドリューなのだが徐々に”感情”が目覚めて来る。その彼が望むのは人間として社会に認めて貰う事だ。既に幾度となく内蔵器官を逆に機械からバイオテクノロジーで培養されたものに替えて行く事に成功している。
 
最後は2205年、マーティン家の末娘の孫になる”リトル・ミス”、ポーティアとは既に結婚生活も長い。そのポーティアは人間として加齢もするし寿命もある、、アンドリューは己の「肉体」を経年劣化して機能停止するように改造、すなわち「老衰死」を受け入れてまで自らの人間性を主張する。そして介護施設の病室で評議会からの決定を待つ二人、、ロボットとして生まれマーティン家には200年の長きに渡り仕えたアンドリュー、、さて評議会の決定は、、と言うロボット=ロビン・ウィリアムズのファンタシーSF映画である。
 
特殊メイクでロボットを演じるロビン・ウィリアムズ、それがロボットの機能を変える都度に人間らしく、、自前の顔に、でも感情を表さず目の動きからもまだ人間じゃないな、と思わせる演技力は素晴らしい。”グッドモーニング、ベトナム”(87年)や”レナードの朝”(90年)、、多くの秀作があるのだが個人的にはこの映画は大変気に入っている。
 
こんな風に長年連れ添ったもの同志が手を繋いだままに息を引き取る、、こんな素晴らしい事はなかなか現実では望めないかな、、そんな事を思いながらこのラストシーンを見ていたら泣けちゃいました。”オレはロボットじゃなかったんだ~、、”。
 
 
 
 
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