”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ニール・セダカ”命ある限り”

そりゃプレスリーも既に大活躍していたしカスケードやポール・アンカ、、ビートルズが出て来るちょっと前だったのだが、、今で言うオールデイズ、まあ当時は演歌か外国の曲、これっきゃない時代だったのだが、、。その中でもこのニール・セダカが歌う曲、特に歌詞が”大好物”だった、、、この曲、実は”悲しき慕情”と言う大ヒット曲のB面に収録されていた。
 
思えばこの頃から桧舞台で脚光を浴びるより一歩さがって裏方で活躍するのが好きだったのか、、このB面の曲、邦題は”命ある限り”だったと思うのだが大ヒットしたA面をそっちのけで必死に歌詞を書き出して覚えた記憶がある。当時はそうやって書かないと覚えられないしネットで検索なんて事はあり得なかった、、そうやって辞書を引きながら意味を調べやっと理解が出来たものだ。
 
短調なメロディなのだが歌詞の単語そしてその使い方を覚えるうえでもっとも基本的な言い回しなのだが”As Long As、、、、”と言う中学生で習う単語に妙に惹きつけられた。その歌詞を習得出来たのは後日かなり時間が経過してからだったと思うのだが今でも懐かしくふっと気がつくと口ずさんでいる。
 
これ以外にも”オー、キャロル”、”カレンダー・ガール”それに”恋の片道切符”と50年代後半からずっと聴き続けて来た、そして曲や歌詞を覚える事が英語の勉強になっていた。こうやって単語を覚えリズムから発音を覚える、、そんな良き古き時代だった。”クルマやさん英語”と言って東京の下町では外人さんが喋る単語をそのまま耳で聴き覚えると言う時代、無論そりゃ発音はかなり英語らしくてもスペルやイントネーションに対する知識はゼロ、、耳に聞こえるままに言葉にする訳だから”TH"の発音や”R"とか”L”は関係なかったそれでも前後の言葉を繋げると結構通じて用が足りたそうだ。逆に英語を母国語とする人が”Don't Touch My Mustache"と言うと”どういたしまして”と聞こえるそうだ、、、。
 
 
 
それよりはちょと後の時代だがこんな曲を聞きながら英語の勉強、それは結構為になった。やはり好きな事をやりながら勉強をすると言う事は大変理にかなっている。まあ歌う側にはなれませんでしたが、、、。
 
 
 
 
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