”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”ブルー・ハワイ”(61年)

ハワイの第二弾、おっさん世代ではハワイと言えばやはりプレスリーだった、、”ハワイを飲んでトリスへ行こう、、”ナンてキャッチもあったが、、ありゃ逆だったかな??遠い憧れの常夏の島、と言えば最初に思いつくのはハワイ、まだ渡航も自由化されておらず外貨だってお一人様100ドル限定、しかも航空運賃はトンでもなく高額で今で言うパック料金が36万円だったような、しかも1ドル=360円!!

イメージ 1そんな時代だったので手っ取り早くその雰囲気を味わうには映画館へゴー、でこの時代多くのプレスリー青春映画が公開されていた。まあ他愛ないミュージカル・コメディなんだがこの”ブルー・ハワイ”はまさにハワイ宣伝用の映画と言うか国内で満喫出来る楽しい映画だった。

実はタイトルにもなっている”ブルー・ハワイ”と言う曲、これはビング・クロスビーが37年に主演した”ワイキキの結婚”と言う映画の為に書き下ろされ作曲された曲なのだがこのエルビス・プレスリーの映画でタイトルに使われこちらで大ヒットした曲として世界的に知られてしまった。

61年に発売されたアルバムにはこの”ブルー・ハワイ”を筆頭に”アロハ・オエ”から”愛さずにはいられない”、、、”ハワイアン・ウェディング・ソング”までヒット曲のオンパレードだった。子供心にもスクリーンを見ながらハワイの結婚式には憧れたっけ、、、現実には鳥取の羽合にもたどり着けなかったのだが、、。

この映画、、ストーリーは兵役を終えてハワイへ帰ってきたチャド(プレスリー)が実家の事業を継がずに”自分探し”をする事から巻き起こる大騒動でママに扮したアンジェラ・ランズベリーと彼を取り巻くビキニのお嬢さん達との絡み合いがメインだった。そのアンジェラ・ランズベリー、、実生活ではブレスリーと10歳しか違わない、、そりゃちょっと可哀相な配役じゃなかろうか?と当時思った気がする。




一連のプレスリーの青春ミュージカル映画は57年の”監獄ロック”そして60年の”GIブルース”を始め世界の観光地を舞台に20作品くらいが制作されているのだがこれと64年にアン・マーグレットを迎えて撮った”ラスベガス万才”が一番鑑賞に耐える作品だったような気がする。その後プレスリーは映画制作から離れ”リブート”して今度はツアー歌手としてラスベガスで大成功、、そしてハワイへも戻って大掛かりなステージをやっているのでやはりプレスリーにはハワイが似合う。

このYoutubeクリップのラストシーンはカウワイ島のココ・パームス・リゾート・ホテル、、80年代だかに入ってしっかり見学に行って来たのを覚えている。もう結婚してて娘もいたのだが、、、。

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