”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

歴代の名作ミュージカル映画

寝苦しい夜が明けた、、26日の今日は”オーストラリア・デイ”(建国記念日)なのでもう堂々と”ダレも来るな!”とばかり事務所のブランドは閉めたまま、、昨日ずっと働いて敷地内もプールもキレイになっているので外には一切出ない事にした。

しかし”ラ・ラ・ランド”の余韻かあって新作は見たくない。そこで歴代の印象深い”大好物”だったミュージカルを列記してみた。還暦世代にとってアメリカに置ける西部劇、そしてミュージカルは特別な存在だし遥か昔、39年には”オズの魔法使い”と言う名作まで制作されている。”雨に唄えば”は52年に公開されたこれまた素晴らしい”これぞミュージカル”だしジーン・ケリーフレッド・アステアなど多くのスターが銀幕へ登場して来た。一連のプレスリー映画のように主役が歌って踊るものも一種のミュージカルだが”シェルブールの雨傘”(64年)のように台詞がすべて歌ってのも当時はかなり思い切った制作方法だった。

本来は舞台で上映され挿入曲がヒットし広く知れ渡るようになってから映画化と言うのが常套手段で多くの名作がこのジャンルに当てはまる。初めてブロードウェイで”マイ・フェア・レディ”を見たときは感激した、、フル・オーケストラがステージ前に陣取っており舞台の進行に合わせ演奏が続く、これがミュージカルの原点かも知れないな、、それを映画化しもっと多くの観客が手軽に楽しめるようにした功績はさて一体誰のものなのか?

ランキングはどうも苦手なのだが以下のラインアップはどうしても外せない;

サウンド・オブ・ミュージック”(65年)、これは何と言ってもジュリー・アンドリュースに尽きる。曲は全部大ヒットしたし挿入歌を知らない映画ファンは一人もこの世に存在してないだろう、、と思わせる程に誰もが知った曲のオンパレードだ。

マイ・フェア・レディ”(64年)、此方はオードリー・ヘップパーンに尽きる、、映画ではアフレコになってしまったが彼女の魅力満載の素晴らしい映画、ジョージ・キューカー監督がバーナード・ショーが舞台用に書き上げた脚本”ピグマリン”を最高の形で映画化した名作だ。

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王様と私”(56年)、ロジャース&ハマースタインが手がけた名曲、51年にブロードウェイで初演されそれをスクリーンに再現したのはユル・ブリンナーとデボラ・カー、後年何回かタイトルは違うがリメイクもされている。しかし51年に公演され今年もアメリカ・ツアーの最中と誠に息の長い作品である。渡辺謙もやっているしこれは”キャッツ”と並び公演が終わる事はないのでは、、?

ムーラン・ルージュ”(01年)、これはちょっと意見が分かれるところだがオーストラリアに長くいるのでこの監督、バズ・ラーマンの功績を称えない訳にはいかない。主演はニコール・キッドマンユアン・マクレガーで原形は”椿姫”である。舞台設定や撮影手法、全てが画期的な作品だったしこの一本は外せないぞ。

”サタデイ・ナイト・フィーバー”(77年)、これはジョン・トラボルタそして音楽はオーストラリアのビージーズが担当、世界的に大ヒットした曲が満載だった。これは自身のやっていた事に妙に重なりリアルタイムで満喫したのでちょっと他の作品より思い入れが強いかも、、。

ウェスト・サイド物語”(61年)、仮にミュージカルのランキングをやるとしたらこれはもう文句なしにトップだ。これも77年の”サタデイ・ナイト”と同じで63年にはニューヨークにいたし、この舞台になった”ウェスト・サイド”へも何回となく行っているそんなでやはり思い入れはイチバンかも知れない。

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”キャバレー”(72年)、”シカゴ”(02年)、”オール・ザット・ジャズ”(79年)、は同じジャンルとしてこれまた素晴らしかった。もっと古いモノになると”南太平洋”(58年)のミッツイ・ゲイナーとロッサノ・ブラッツイの”バリハイ”、、やバーブラ・ストレイサンドの”ファニー・ガール”(68年)、プレスリー映画からは”ブルー・ハワイ”(61年)、”ラスベガス万才”(64年)などなど、、何れも忘れられない、書ききれない状態である。

さて10年後、、”ラ・ラ・ランド”は一体何処まで行っているのだろう??ありゃまた、この映画に戻ってしまった。


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