”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

華麗に加齢したスピード・ライダー

ニュージーランドの最南端に”インバーカーギル”と言う町がある。現在は人口が5万人程度らしいのだがおっさんが住んでいた当時はこの半分程度じゃなかったのでは??あれは60年代の後半、この町にある食肉加工工場で研修生をやっていた。その季節労働者が集まる集落に3ヶ月、そして今度はダニーデンと言うもうちょっと大きな町、更に北上して今度はクライストチャーチへ、、結局このニュージーランドには丸一年も滞在してしまった。

イメージ 1冬はそりゃ寒かった、、クライトチャーチではおばちゃんちへ間借りしていたのだが毎朝、チャリで工場まで行く間に鼻水がつらら状になったっけ、あれは初めての経験だった。

工場では牛と羊革の選別、そして皮革をなめす為の準備工程をみっちり仕込まれた。今思えば重労働だったがそれなりに楽しい生活、毎晩5時にパブが閉店になるので勤務が明けるとみんなでワア~、、と飲み屋へ押しかける。そしてガバグビー、、と一気飲み。これが実にウマい、やはり汗をかいた肉体労働後のビールに勝るものはない、、そのクセが今になっても抜けない、いや、これは進歩がないと言った方が合っているか??

そのインバーカーギルだが、後年判ったのだがNZ内では知らない人はいない程の有名人の出身地で当時私が居た時期にニアミスしていたようだ。それに気づかされたのはその人物の伝記映画を見た時なのだが、、映画は”世界最速のインディアン”(05年)だ。原題は”The World’s Fastest Indian"、、家内に珍しく映画が見たい、、と誘われたのがこれ。最初、、”何だよ、インディアンの徒競走かぁ?初めてオリンピックにでも出たインディアンのお話か?”と実にノーテンキな事を聞いてしまった。

それがバート・マンローの物語で映画ではアンソニー・ホプキンズが演じていた。この地のオートバイ改造屋/ライダーで自身が改造した1000ccのオートバイを遥々アメリカのソルトレイクまで運び、ボンネビル・ソルトフラッツで世界的にも有名なレースに参加、世界記録を打ち立てて優勝したおっさんである。時は67年、既に彼は還暦過ぎ、そのシニアじいさんが見事に自分で改造したインディアン製のオートバイで時速288キロと言う大記録を打ち立てたのである。

映画の事は以前にもこのブログに書いた事があるのだが一種のロードムービー、インバーカーギルの港から貨物船に乗りロスアンジェルスへ向かう、更に其処から陸路でソルトレイクへ、、その道中色々な人に出会い、別れ、励まされ、励まし、、、と悪戦苦闘の連続、やっとレースの開催地へ辿り着くのだが書類の不備とかで出場もおぼつかない、、そんな根性モノなんだがこれは何があっても屈しないシニアを描いた思い入れ一杯の秀作である。アンソニー・ホプキンズはそりゃ”ハンニバル・レクター博士”や”日の名残り”のスティーブンズ執事がすぐに目に浮かぶのだがこの映画もそりゃ素晴らしい根性でマンローじいさんを演じている。

イメージ 2これは現在もインバーカーギルの資料館に飾られている改造されたインディアン号。

これに乗って大地を駆けた、、実に夢がいっぱいに詰まったお話ではないだろうか?そのマンロー氏、62年から67年まで毎年レースに参加し最後には非公式ながら時速331キロを樹立しているとか、。4人の子供に恵まれたものの奥さんとは戦後47年に離婚、ずっと改造車を手掛けるガレージに住み着いていた(映画の出発点)、、アメリカでは数々の記録を樹立して来たのだが78年、出身地のインバーカーギルで78歳の生涯を終えてしまった。

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