”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”メイド・イン・マンハッタン”(02年)

このところ見たい映画を見るんじゃなくて向こうが勝手に放映している映画を眺めている、、映画ファンらしからぬ状況だ。昨晩もこの映画、、”メイド・イン・マンハッタン”だ、、この原題は”Made”と”Maid"を引っ掛けているのだが日本語で”メイド”とすると”あっ、そう”って感じで面白みがなくなる。

別に”J・ロー”のファンって訳にでもないのだがニューヨークの一流ホテルの内部事情が判るってんで公開時に映画館まで行ったのだが、、要はホテルを舞台にした現代風シンデレラ物語である。

イメージ 1ジェニファー・ロペスジョージ・クルーニーと共演した”アウト・オブ・サイト”やリチャード・ギアと共演の”Shall We Dance?"が一番輝いていた気がするのだがこの映画ではシングル・マザーの子持ち役だった。

監督は香港生まれのウェイン・ワンという人で”スモーク”とか”ラスト・ホリデイ”とかのメガホンを取っている。映画の撮影は内部は殆んどがセットだが一部NYの老舗ホテル、”ウォルドフ・アストリア”でロケが行われている。

まあこの辺りは”架空のホテル”が舞台なので、、としないとちょっと角を曲がるともうセントラル・パークだったりその先にはホテル・ピエールの先端が見えちゃったりと首を傾げる場面があるのだ。


この手のシンデレ・ムービーの筆頭はジュリア・ロバーツを一躍有名にした”プリティ・ウーマン”(90年)ではないだろうか?何せあっちは”一晩ハウマッチ”の女性が実業家と恋に落ちるのだ、、その舞台もそう言えばホテルだった、。ロケはロスの”ビルチモア”それに通りに面した表の部分は”ビバリーウィルシャー”と言うホテルを使い分けていたっけ。どうもホテルが舞台になると気になってしまう、、。

日本では実際にホテルのロビーなどの現場を映画の撮影に開放するケースは非常に希だ。竣工して間もない場合は宣伝用にとロケの許可を出す場合があるが通常は24時間営業だしそんなのは無理な話、それに映画の展開一つでは悪評が立つ恐れもあるし後日大挙して現場ツアーなどで来られても困るのだ。ニューヨークの”プラザ・ホテル”とかはそりゃもう数多くの映画でも舞台になっているし外見だってかなり多くの映画で背景になっている。

67年に制作された”007は二度死ぬ”、これは日本が舞台になり当時開業したばかりの”ホテル・ニュータニ”が”大里ビル”と名前を替えて登場した。敵の巣窟って設定だったがやはり内部での撮影は許可が降りず全部セットだった。流石にこのワタシも当時はまだ社会人にもなってないし後年、オータニ勤務の知人から聞いた話である。結局、ジェームス・ボンドがセットで暴れまくり、敵のアジトから駆け出して来てホテルの宴会場玄関前で若林映子が運転する当時憧れの”トヨタ2000GT”に拾われる場面だけでの登場だった。

そんな内情を聞いたのはワタシがホテルマンになって映画撮影で大失敗をやらかした後の事である。最初にこんな内輪話を聞いてりゃあんな失敗はしなかったのに、、。これは苦節30年余のホテルマン生活で結構悔やんでいる。

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