”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”アメリカン・グラフィティ”(73年)

原題はそのまま”American Graffiti"、(直訳した意味は”アメリカ風落書き”だが意訳ではこの時代のティーンエージャー達の風俗と言った意味か?)73年に制作公開された映画だが背景は62年の夏も終わりの頃、今風に言えば”ラ・ラ・ランド”である。

色々な人たちがこの映画は当時の若者の風習を描いた秀作だ、と評価するのだがジェームス・ディーンを一躍有名にした”苦悩し抵抗する若者を”描いた作品とは一線を画している。彼のようなストイックな若者も出ては来るが人物像よりバックに使われている曲に焦点が合っておりそれがまさに当時ラジオから流れていたオールディズのオンパレードである。しかしビートルズアメリカに上陸したのはこのちょっと後の63年後半なのでこの映画では一切使われていない。制作が一年後であったらこりゃ又、全然違う作風の映画になっていたのではないだろうか?

イメージ 1監督はジョージ・ルーカス、そしてプロデューサーがフランシス・フォード・コッポラ、そして配役にはリチャード・ドレイファス、そして後年、名監督になるロン・ハワード、更には此方は後年トップスターとしてハリウッドに君臨するハリソン・フォードとちょっと見渡しても将来のハリウッド映画界のエッセンスが凝縮された映画だったと言っても過言ではないのだ。

このルーカス&コッポラ手掛けた映画と言うだけでももう垂涎ものだが低予算で制作された映画で高収益をもたらしたサンプルとしてアメリカ国立フィルム館にも永久登録されているのだ。



ストーリーは長い夏休みを終えて明日は故郷を離れて遠くの大学へ行くもの、生まれ親しんだ街に留まるもの、、イケメンを探し求めて徘徊する女子生徒たち、ドラッグはまだ出てこないが隠れてタバコを吸ったり、大人に酒場でお酒を買って貰ったりと僅か一晩だけの事ながら若者たちが右往左往するお話である。しかも最後にはメインのキャラクターを演じた諸君たちがその後どうなったか、、と字幕で説明が入るのであたかもこれは全部事実だったのか??とスクリーンを見詰める目に力が入る。

映画の時代は62年、当時ラジオから流れていたデル・シャノンの大ヒット曲”悲しき街角”を始めビーチ・ボーイズプラターズ、ビル・ヘイリー&コメッツなどがこれでもか、、と出て来る。不思議な事にプレスリーは出て来ない、、そんなでもうジジイ世代にはこれだけでも楽しくなってしまうのだ。舞台はロスアンジェルスの北部、ヴァンナイズ、ヴァリー地区だが翌、63年には反対側のニューヨークに住んでいた事でもあり妙に自身がやっていた事にカブるのだ。

確かに近所の今で言う”ドライブイン・ダイナー”ではローラースケート靴をはいたお嬢さんが注文したハンバーガーを運び車の窓枠にテーブルをセットしてくれた、、そんな経験をしたくて親が近所に住んでいて車を運転出来るクラスメートは大忙しだったっけ、。車に乗れるだけ乗ってドライブインシアターってのにも行ったし懐かしさがいっぱいで映画を楽しく見ると言うより音楽を聞きたくて見てしまう、そんな感じで2時間が経過してしまった。

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