”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

ハリソン・フォード

大ファンと言う人は少数派かも知れないがこの人が出演した映画を一本も見たことがない、、と言う人は世の中広しと言えど居ないだろう。それ程に数多くのヒット作、単発にシリーズものに登場しているし収益の合計はそれこそ天文学的な数字になる。

映画界にデビューしたのは66年なので20代の半ば、、でもクレジットもされずチョイ役やテレビで辛うじてスクリーンに、、丁度”ラ・ラ・ランド”のミアが駆け出しの頃と同じ境遇だったらしい。それが生活費を稼ぐために大工仕事をしている時に知り合ったプロデューサー、フレッド・ルースの紹介で73年、”アメリカン・グラフィティ”に抜擢された。役柄は高校生、、だったがもうアラサーになっていた。

役名はボブ・ファルファと付いていたがどちらかと言えばこの映画でもチョイ役、、しかし映画の監督はジョージ・ルーカスだったのだぁ~、、。しかし未だ順風満帆とは行かない、、。その後コッポラ監督の”カンバセーション・盗聴”に出演した後にはコッポラ・スタジオの裏方さんとして舞台裏へ、これがまさに下積み時代になるのだろうか?

そして遂に77年、オーデションを経てハン・ソロ役に抜擢、”スターウォーズ”で一大ブレーク、もう35歳と遅咲きの出世街道となったのです。まあこうして見るとプロデューサー、そして監督から認められる事が大切な要素になるような、、でも不思議な事にこれだけ多くのヒット作、そして知らない人はいない状態でもオスカーを始め演技賞なるものには縁がないのです。

時代はちょっと違うがマーロン・ブランドは同じように電気工、配管工を経てニューヨークの演技学校へ、エリア・カザンが演出した”欲望という名の電車”でブロードウェイデビューと此方は舞台からのしあがって来ている。デビューして僅か3年後には30歳で”波止場”でオスカーを始め各国の賞を独占してしまった、。

イメージ 3そのハリソン・フォードはその後、”ブレードランナー”、”インディ・ジョーンズ”からジャック・ライアンシリーズとして”パトリオット・ゲーム”(92年)、”今そこにある危機”(94年)と連続ヒットを飛ばし単独では”刑事ジョン・ブルック目撃者”(85年)に”逃亡者”(93年)などの当たり役も沢山ある。まあアクション映画ではあるがそんなにアクションが似合う訳でもないし不思議な魅力、、と言えば良いのか、、気が付いたらもう殆んどの出演作を見ていた状態になっているのだ。

個人的には”刑事ジョン・ブック目撃者”で演じた刑事役が一番”演技賞”獲得に近いものだったと思うがアーミッシュの世界に入り幼い少年とその母親を守ろうとする役柄が好きだった、、まあ共演したケリー・マクギリスの魅力に負うところ大ですが、、。

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ハン・ソロを経由してインディー・ジョーンズへ、、そして”ブレードランナー2049”では息子の世代になるライアン・ゴスリングと共演、、まだまだ元気でアクション映画にも大活躍のハリソン好々爺でした、、。



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