”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”日の名残り”(93年)

原題は”The Ramains Of The Day”まさに”残された日々、”、それをそのまま直訳せずに”日の名残り”としたところからして素晴らしいのだ。89年にカズオ・イシグロの原作を翻訳、出版された時に翻訳を担当された土屋政雄が付けたのではないかと推察するのだが実に的確に主人公、スティーブンスの心情を捉えている。

イメージ 1映画化されたのは93年、監督はジェームス・アイボリーで生粋のアメリカンである。原作を日本人が書き、その舞台は壮大なイギリスのお屋敷、そして演じたのはイギリス人のサー・アンソニー・ホプキンズにエマ・トンプソンと言うことになる。

この映画の良さは過去に何回も記事にしているのだがオスカー戦線では8部門、ゴールデングローブでは5部門、本国のBAFTAでも6部門にノミネートされた文字通り秀作である。それに執事とホテルマンと言う違いはあってもあのスティーブンスの忠実さや職業理念には個人的にかなり入れ込んでしまった。


そのスティーブンス(A・ホプキンズ)の心情と職業理念を表す見事なセリフがある。これは原作にも同じように登場して来るのだがこの映画に対する作者の気持ちを巧みにスティーブンスが代弁しているように思える。

ティーブンス曰く: I'm sorry sir, but I am unable to be of assistance in this matter.

恐らく日本語の字幕にすれば”申し訳ありません。私にはお返事しかねます。”で終わってしまうのだがこの短い文章にこの映画の真髄が潜んでいるのだ。

イメージ 2これがアメリカの執事なら”Sorry、I Don't Know"、、とか”I Can't Answer That"ってなるハズである。それを”Unable To Be Of Your Assistance”、としているのだ。これは英語と米語の違いだろう、、で片付ける前に彼は執事なんである。

非常に簡潔明瞭短い文面だがこの言葉の裏には”執事たるもの常に縁の下に待機しているべきで、お客様に求められても自身の意見は言ってはならないのです”と確固たる信念が見えるのだ。場面はダーリントン卿が各国の大使を招いた晩餐会後の事で各国の大使連中がこの戦争をどう思うかと議論中、さて一般人はどう思うのか?っと執事に目を付け、”君はこの状況をどう思うんだ?”と問いかける場面である。

なので単に言っている意味が判るだけではないもっと深い意味を掴むには言語をそのまま解釈しその背景までも見ないと作者の心にはたどり着けないのだ。

これは別の場面のセリフ、;

ミス・ケントン: Why? Why, Mr. Stevens, why do you always have to hide what you feel? この場面ではなかなか自分をさらけ出さない、意見も言わない、、そして会話も進まない、、スティーブンスは自分、ケントン(E・トンプソン)に好意以上の感情を持ち合わせているのは判るのだがそれを言ってくれない、それに業を煮やして”何故?、何故、貴方は自分の感情を何時も隠すの”と責めている場面である。

このセリフも短い中にもこの映画の結末を凝縮しているようで実に印象深いのだ。

そんな訳で何回も繰り返し見ているうちにこんな事にぶつかるのです。こんな短い文面でも自分のものにしてしまえば英語を学ぶ価値もあろうかと、、それに又違う方向からこの映画の良さも判るし、。