”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”グリーンブック”(17年)

久し振りに直球ど真ん中のストライクな映画だった。何せ出だしから背景は62年、舞台はブロンクスと来た、、まるでこりゃかの”アメリカン・グラフィティ”と同様に自分の青春時代に連れ戻された感じだ、、しかもテレビから流れて来る場面はミッキー・マントルがキャンドルスティック球場でワールドシリーズを戦っている場面、それも負ければ終わりの第6戦である。この最初の20分だけで☆を進呈したい、、。

それよりもハリウッドのアカデミー賞選考委員会のおじさんおばさん達はちゃんと良識を持ち合わせていた。まあ、他の作品は見てないのでワタシには語る資格は元よりないのだが、、この作品を今年の最優秀作品に選びオスカー像を進呈した事が嬉しいぜ、。

実は近年、最優秀賞に輝く作品には余り共鳴していない、結果的には受賞には至らなかったがもろ手を挙げたのはボストン近郊を背景にした”海辺のマンチェスター”(16年)以来かもしれない。

先ず脚本を書いた二人は共にオスカーを受賞しているが実にリアルで教養のあるドン・シャーリーと粗悪で悪態しかつけない”トニー・ザ・リップ”を見事に対比させイメージ 1た。特にトニーが奥さんに書く手紙を添削して魅力ある文章に仕立て直す、、これだって脚本家の仕事なんだ。しかも二人ともカメオどころかしっかり劇中出演者になっているし。

字幕担当の戸〇さん、かなりご苦労されていた、、ところどころ端折った個所もあるがあれは”注釈”としてでも訳者が手を加えないと観客を混乱させてしまう。彼方の60年代後半の事情が判っておれば自然と和む場面が4か所くらいあったんだがアレは現地でアメリカンと一緒に見れば大多数の観客が手を叩いて喜んだんだろうな、、。

ロードムービーには違いないのだがこれまでのAからB地点へ旅するものとはかなり違う、白人がお抱え運転手としてディープサウスへ向かう設定はやはり名作、”ドライビング・Missデイジー”(89年)の反転だがあっちの背景はもうちょっと古い48年代、なので南部の差別はもっと酷かったものと推察される。ジェシカ・タンディモーガン・フリーマンも素晴らしかった、そして89年のアカデミー賞ではやはり最優秀作品賞に輝いているのだ。

映画の終盤に近く思わずこのジイさんの胸が詰まってしまった場面がある、それは、、;

ドン・シャーリー: So if I'm not *black* enough and if I'm not *white*
enough, then tell me, Tony, what am I? (私がもしごく一般的な黒人ではなく白人とも判別されないとしたら、、じゃあトニー、オレは一体ナンなんだ?)

この場面である、、これは実に痛かった、自身に置き換えるとオーストラリアに30年、その前はアメリカに10年も住んで”オージーじゃないしアメリカンでもない、かと言って日本の事は何も判っちゃいない、、漢字だってロクに書けやしない、、じゃあ一体オレは何なのさ?”ってヤツである。

オーストラリアじゃ当初”アンタのそれはアメリカン英語っ?”っと言われてかなり腐っていた時期もあるのだ、。そりゃ顔を見りゃどうやっても日本人だべぇ~、、とは言ってもCやK国と言われても返す言葉がないのだが、。

そんなで最後の最後まで大満足した映画だった、、見ている間、一時間毎に☆が増えてしまい結局☆☆☆☆、、になっていた。やっぱりストライクゾーンに来た映画は逃せない。