”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

巧優、ピーター・セラーズ

良く俳優さんに”名優”と書くケースがあるがこのピーター・セラーズは”巧優”だったと言いたい。洋画ファンにはコメディアンとして知られるが元来はかなり気分屋で気難しかったようだ、、その本性が上手く捉えられていた映画が”The Life and Death of Peter Sellers"と言う伝記映画で彼の死後、04年にジェフリー・ラッシュが演じた。

日本では劇場公開には至らず”ライフ・イズ・コメディ!ピーター・セラーズの愛し方”等と言う陳腐な邦題になってしまった。彼のコメディアンとしての才能に照準が当たってしまいもっと複雑で錯綜した性格は見逃されているのだ。

晩年は映画の成功と共にアメリカに住んでいる時間が長くすっかりアメリカ人だと思われていたようだが生っ粋のブリティッシュで25年にハンプシャーで生まれている。幼児の頃から芸人だった両親の影響で舞台に立つこともあったようだが大戦中は兵役に就き50年にやっと映画界へ、、コメディアンとして頭角を現し63年に当たり役”ピンクの豹”でクルーゾー警部に抜擢される。

この辺りの映画界抜擢の経緯が先の伝記映画では語られている。監督のブレーク・エドワーズ(ジョン・リスゴー)とのやり取り、最初に結婚したアン(エミリー・ワトソン)、更には二人目の奥さんブリット・エクランド(シャーリーズ・セロン)などが入り乱れ非常に興味深い映画に仕上がっているのだ。

映画の評価としては64年の”ドクター・ストレンジラブ”、そして”名優”としては79年の”チャンス”が一番評価が高いのだが一連の”ピンクパンサー・シリーズ”で演じたジャック・クルーゾー警部役がやはりサイコーの当たり役だった。

イメージ 1ピンクの豹”が大ヒットしたので今度はクルーゾー警部を主演に撮られたのが翌年64年に公開された”暗闇にドッキリ”、これで共演したのがエルケ・ソマーだった。その後、シリーズ化され結局合計6本の”ピンク・パンサー”映画が公開された。

無論このジャック・クルーゾー警部役には抱腹絶倒、特にコンビを組んでいた上司を演じるハーバート・ロムそして執事役、ケイトーのバート・クウォーク等とのやり取りが実に面白いのだ、。

個人的にはこのクルーゾー警部役に負けるとも劣らない68年の”パーティ”が最高傑作ではなかっただろうかと思っている。役柄はハリウッドの端役専門俳優でインド人の設定、それがひょんな手違いから大物プロデューサーのパーティに招待されてしまいハリウッドの自宅へ、、その豪邸で起きるハチャメチャの大騒動がまさに抱腹絶倒になっている。あのインド人訛りのセリフに伝統的なイギリス風な笑い、これは後年、ミスター・ビーンにも通じるのだが悪戯風ではなくご本人は至って真面目、しかしやることなす事全てが裏目に出ると言う設定だ。

イメージ 2これはジェフリー・ラッシュが演じた”チャンス”でのスチール。

しかしそのお笑いの天才、ピーター・セラーズは40歳前に心臓疾患を、、そして僅か54歳の若さで80年に急逝してしまった。もっと沢山笑わせて貰いたかった。

ノスタルジア度☆☆☆
”パーティ”のお笑い度☆☆☆☆