”オールド・シネマ・パラダイス”、、時々新作も

長年”映画と愛猫とオーストラリア”だったが札幌へ軟着陸し愛猫も亡くしこの新タイトルで心機一転だ。

”メッセージ・イン・ア・ボトル”、、、

こりゃ又、センスがない邦題だな、、定冠詞や不定冠詞はそのまま日本語表記にして欲しくない。原題をそのままカタカナ表記ってのはいかにも安直な手法だし何となく意味は判るとしても肝心の”大人のラブストーリー”として観客動員したくともその大人にそっぽを向かれるのではないだろうか、、。折角の秀作だった”リバー・ランズ・スルー・イット”、、これとて同様、もう少し何とかならんのか、、?
 
映画の出だしは一人息子を別れた元夫へ送り出したロビン・ライト(テリーサ)が休暇をとり一人浜辺をジョギングしている、、その設定をろくにセリフもなく僅か3分で説明、、、浜辺に打ち上げられたワインボトルに目が留まる、良く見ると中にはメッセージが。此処までは映画絶好調、、何となくこの雰囲気は”Sleepless In Seattle”を思い出す。イメージ 1
 
気になって中身を広げてみると、、そこにはキャサリン宛に自分の心の思いを克明に綴ったメッセージが、、、この文面にいたく感動したテリーサは休暇を切り上げるとシカゴへ飛んで帰り自分が分析担当として働く新聞社へ。
 
その手紙の内容を編集長に話すと、、翌朝の自社新聞のトップにはテリーサは蚊帳の外、勝手に借用した編集長の記事が掲載されている、、。そしてその読者の反応たるや、内容を賞賛したもので思いがけず特ダネをせしめてしまった。
 
さあテリーサ嬢、勝手に個人の手紙を新聞に暴いてしまった責任は重い、そこで手紙に使われたタイプライターの文字列や紙の質、そして果たして何処から流れ着いたのか海流を調べ始める。そのヘンはそりゃもう新聞社だ、一挙に解決、そしてテリーサは飛行機に乗りケビン・コスナー(ギャレット)に会いに行く、、。
 
そのギャレットのオヤジさんがポール・ニューマン、初対面で息子が何処にいるかを聞き出しヨット作りや管理をして生計を立てているギャレットを捜して波止場へ。このあたりの風光明媚な海岸線や港町風景(メイン州のノースポート)、カメラも設定も更に絶好調、素晴らしい画面が続く。オイオイ、こんな調子だとこの映画、大傑作に化けるぞ、、。
 
イメージ 2これが又、ファンになってしまったロビン・ライト嬢、実は結婚して名前はロビン・ライト・ペンに、、お相手はショーン・ペンである、、。10年で離婚、名前はそのままペンを入れて使っているようだがその昔、”フォレスト・ガンプ”でトム・ハンクスの相手役(幼馴染のジニー役)で出ていた。
 
あの映画じゃヒッピー丸出し、フォレストとやっと結婚までするのだが何時も何処かへさ迷ってしまううら若きフリーター、、結局最後はあっけなくフォレストを置いて亡くなってしまう。
 
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これがジニー役をやっていたロビン、、何か頼りなげだが魅力的な役柄だった。
 
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ショーン・ペンとは6つ違い、96年から昨年まで結婚していたそうな、、。
 
そんなで映画の方はやっと主演二人が出会って”大人のラブストーリー”となって行く。ケビン・コスナーはもう殆どその主演作では離婚暦のあるやもめ役だが一度は離婚しないとこう言う素敵な出会いには巡り会わないと思わせるような設定。
 
問題は何でテリーサが彼の書いた手紙を持っているのかその内容は一体どんな状況下で書かれたものなのか、、見る方はどんどんその展開が気になってくる。
 
ニコラス・スパークスと言う作者が出版した本が原作なので映画化によって勝手な解釈は出来ないしその内容を代えることも出来ないが脚本、演技、撮影とこの手のロマンスものにしては上出来、良質なドラマになっている。そうだ原作があると邦題も勝手に変更する訳には行かないかそれでもせめて”海を渡ったメッセージ”とか”ワインボトルのラブレター”、、何とかならんのかね~、、原作者には表敬を評して”ボトルに込めたメッセージ”はどうだろう、、、。
 
映画はテリーサの勤務するシカゴとギャレットの住む港町、遠距離恋愛の状況に、、口下手のギャレットはある過去の想いが断ち切れずどうしても一線を越えてテリーサに言い寄ることが出来ないそしてその理由が段々に明らかになって行く、、。
 
ここまで上映時間131分中、120分経過、、こりゃ素晴らしい映画だぞ、そしてクライマックス君の登場、ガツーン、、やられた。振り向いた途端、岩石が落ちて来てばったりと倒れた心境、で結局は及第点にも満たない結果となりました。それも最後の最後で、、、、そんな事もあるんだ~、納得、イヤ出来ない。気分が悪い。