たかが映画、、なのだが実生活にそれなりの影響を及ぼした映画ってのは本当にあるものだろうか?そりゃ”スーパーマン”を見て将来あんな風になりたいと言われてもどうしようもないのだが、、。我らがガキの頃は電車の運転手、何故かバスはいなかった、、プロ野球選手ってのが多かったような、時代のなせる技かまだ飛行機のパイロットは”認知”もされていなかったがなかには”総理大臣”ってのもいて、あれはもうちょっと前の世代だったかな、そんな事を言うヤツには子供心にも随分と白けたものだ、。
そんな事を思いながらブログを検索していたら007の”ロシアより愛をこめて”を記事にされているノブGさんに行き着いた。この映画には結構思い入れがある。その前年、シリーズ一作目の”007は殺しの番号”(後年”ドクター・ノオ”(62年)に改題)が東京の松竹系の映画館でB級作品として上映されていて全く期待もせず通りすがりで入った記憶がある。イアン・フレミングの原作は全部読んでいたのでどんな内容なのかは知ってはいたのだが、、映画としての期待度はゼロ、、でも若々しいショーン・コネリーのジェームズ・ボンドには魅せられてしまった。そして二作目のこの”ロシアより愛をこめて”、、当時早川書房から出版されていた井上一夫氏の翻訳にはなかったのだがこの映画にはすっかり心を奪われてしまった。
勿論スパイになりたい、、などと思った訳ではなく端的に言えばああやって世界を飛び回り各地の高級ホテルに泊まってみたい、、と言う願望である。日本国内は修学旅行で日光へ行ったっきりだったが異国情緒豊かで右も左も判らない世界、そんな海外へ先に目を奪われてしまいそれがその後の人生に多大な影響を及ぼした映画と言う訳である。そりゃちょっと大げさかな、、。
土曜日の夜にも呼び出しがかかる、、まあ大した事もなく終わって良かった。2号が引越しでデカいトラックが車道を長時間塞いでいる、、帰宅した住人がガレージに車を入れられない、、と言う訳、この程度なら”危機散発”だ、、。しかしそんな事まで言いつけにくるな、、何時か自分が逆の立場になるんだぜぇ~、。”指ウォルサーPPK”で運転手の頭を撃つ真似をしたら住人に妙に受けちまった、、本当はオマエに向けたんだ、、。
そう言う訳でこの62年に始めてスクリーンで接したジェームズ・ボンド、、遂にシリーズも50年が経過して24本目が12年の”スカイフォール”だった。時代を反映して米ソ対決のパターンからイアン・フレミングもビックリするような展開になっているが受けた影響は大きく中東やカリブ海までは無理だったが007が任務で駆け回った都市やホテルにはかなり行くことが出来た。
この007シリーズには諸外国へ行ってみたいと言う影響を受けたがもう一本、今度は主人公の”性格、個性”、、に影響を受けた映画がある。実に他愛のないコメディでオリジナル原作の”リトル・ミス・マーカー”をリメイクした映画、主演がトニー・カーチスとスザンヌ・プレシェット、そして監督がノーマン・ジェイソンである。
邦題は”40ポンドのトラブル”(62年)、以前にも記事にした記憶があるのだがカジノの支配人、スティーブ(トニー・カーチス)とそのカジノのステージに立つクリス(スザンヌ・プレシェット)その間に挟まれキューピッドの役柄を演じる体重40ポンドのお嬢さんが巻き起こすドタバタ劇である。
その彼が演じるカジノの支配人、無類の清潔好きで卓上のモノがちょっとでも曲がっていると気になる性格、女の子の躾にも厳しく使ったタオルはちゃんと片付け、歯磨きのチューブもちゃんと下から絞り出すようにと指示する始末、ベッドのシーツはパシッと張り、枕投げなどもっての他、食事中にはナプキンを膝に掛け口元は直ぐに拭う、、とこりゃもう当時のボクとそっくりの性格じゃないかぁ?
実は自分でも”オレはちょっと偏執?”と思っていた節があったのだが映画でこうしてスティーブの仕草を見ていると”ナンだちっともおかしくないじゃないか、、オレ以外にもそんな人はいるんだ”となった訳です。それに画面からでも判るのだがこのトニー・カーチスは本当にあんな性格なんだろうな、、と思わせる、、女性に関しては決してこんな事はなかったようだが、、。
そんな訳でこの映画の主人公の性格にえらく共鳴してしまったと言うことで大きな影響を受けた、、イヤ性格を助長した映画となりました。ついでに職業については決してカジノの支配人には向いてないとは思うのだがカジノのないホテルなら行けるだろう、、っでこの映画の影響かその後25年以上に渡ってホテル業に身を置く事になってしまいました。おっ、待てよ、管理人もひょっとしてその延長か??カジノのほうは結構痛い目にあったのでそれっきりですが、、。